第1章

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失われた姫の旅物語  空は蒼く晴れ渡っていた。  海は静かに凪いでいた。  空と海の間に、大陸の影が浮かんでいた。  白いカモメが翼を広げ、水面低く飛んでいる。  一隻の船がその後を追うようにして、波を切っている。  帆柱は三本。船首側の二本に、蛇腹に折りたたむことの出来る帆が吊られている。船尾の帆柱では三角の帆が風を受けていた。  船が向かうその先には、大陸の玄関口、タオルンの港が見える。クナ皇国の東部を占める、ロントン公国の歴史のある港だ。  船はその長い船旅を、ひとまず終えようとしていた。  船上では、船乗り達が入港の支度に追われている。  大声が飛び交い、張り巡らされた綱や船体がキシキシと鳴る。  そんな中、船上の騒がしさには加わらずに、陸を眺めている娘の姿があった。 黒い髪をうなじで束ねている。布の旅衣をまとい、潮風を防いでいた。髪と同じように黒い瞳と、小筆で一息に描いたような、凛として真っ直ぐな眉が印象的だ。  名をユズナという。 「とうとう来たわね、シオン」  彼女はそうつぶやいた。  シオン、と呼ばれた若者が娘の側に立っている。しかし彼は娘の言葉には応えずに、ただ黙っていた。背は高く、ユズナよりも頭二つほど抜き出ている。均整のとれた身体からは、どことなく人を威圧する空気が流れ出ていた。腕力自慢の船乗りとは違う種類の気配だ。腰の剣と、清潔ではあるが質素な服装を見れば、人は傭兵か何かだと思うだろう。  船は港へ進む。波頭が崩れ落ちると、無数の泡が生じた。  波の間に落ちた小さな影に気が付いて、シオンは空を見上げた。 「あれは……」 「どうかしたの?」 「竜……おそらく、竜騎兵だ……」  ユズナもまた、空を見上げた。  ずいぶんと高いところを飛んでいるらしく、ユズナ達の眼には鳥のように小さく映る。それでも鳥とは違う、竜である特徴が見て取れた。長く伸びた首、四つ足を備えた強靱な体躯、首よりも長い尾。巨大な翼が虚空を切り裂いている。 「あれが……竜騎兵……」  竜を見るのは、初めてのことだった。 「何処へ行くのかしら……」  陽の光が眩しくて、ユズナは目を細めた。  遠い異国の兵(つわもの)の話は、幼い頃に良く聞かされていた。クナ皇国の遥か西の山奥にある僧院で修業を積み、選ばれた者だけが竜の背に乗ることが出来るという。
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