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その声を聞いても、少女は何が起きたのか、これからどうなるのか飲み込めずに、呆然と弟を抱きすくめていた。
「早く行け」
今度は男の声がした。少女の目に、長い刃物が映った。片刃の剣だった。それはまるで月光を浴びた魚の腹のような銀色をしていた。
蟲よりも、その刃物に対する恐怖が、少女に正気を取り戻させた。弟を引きずるようにして、その場から遠ざかる。
突然、横から木の棒で殴られたウミワラジは怒っていた。
躰の前半分を縦に起こして、相手を威嚇する。伸び上がると、民家の二階に届きそうな高さになる。腹側にひしめく足が威嚇を始める。その胸部には、武器となる二本の長い触手が丸まって収まっているのだ。
そして右の触手を鞭のように敵に向かって打ち出した。
ユズナは竿で上手くそれを受け止めた。触手は勢いでぐるぐると竿に巻き付いた。ウミワラジは巻き付いた触手を引っ張りながら、もう片方の触手を打ち出そうとする。
だが二本目の触手はユズナに届くよりも先に、シオンの剣に切り落とされた。
ウミワラジが、声とも歯軋りとも分からぬ音を出してのけぞった。
ユズナは、触手が巻き付いたままの竿を、薙ぎ払うように振った。
重心を崩したウミワラジが、もんどり打って転がる。
周囲からどよめきの声が上がった。
剥き出しになった蟲の腹に、シオンが剣を突き立てる。
蟲は身体をひねって悶えると、尾でシオンを打とうとする。
「浅い」
そう言うと、シオンは剣を引き抜き、ウミワラジの尻尾を刃の峰で受け止めた。身体が宙に浮き、そのまま跳ね飛ばされる。
身を突かれた痛みに、ウミワラジは悶え、暴れる。シオンの言葉どおり、傷は浅く、ウミワラジの息の根を止めることは出来なかった。
触手の巻き付いた竿が、ユズナの手からもぎ取られる。
「銛を打て!」
いつの間にか遠巻きに蟲を取り囲んでいた番兵達が、兵長の号令にしたがって、柄尻に綱の付いた銛や鋼鉄の鉤を投げる。
しかし、その攻撃は僅かに期を逸していた。ウミワラジは無数の節足で覆われた腹を隠すように、身を起こした。銛は楊枝のように背中の堅い殻に弾かれる。それでも二本の鉤が殻の隙間に食い込んだ。
「綱を張れ」
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