186人が本棚に入れています
本棚に追加
「シフト制」という言葉を耳が拾う。自分の名前も聞いたような気がした。七尾の口調が時々早くなる。そして、またゆっくりに戻る。長い淡々とした低いトーンの会話。内容はほとんど聞き取れない。
何かに似てる。ああ、これは、夜の雨音だ。
どんな暴風雨でも、森谷のマンションの家で聞くと、優しいノイズになる。気密性が高いのでそうなるのだ。例え台風でも、注意しないと全然そうだと気づかないこともあって。それに慣れると、ばあちゃんちで聞く雨の音に驚いた。まるで賑やかなオーケストラだ。
眠気で朦朧としながら、二人はかなり激しい口論をしている、と思った。
起きて、何を話しているか盗み聞きしたい欲求が起こるが、「来られても困る」という七尾の言葉を拾った後は、一気に落ちて、夢も見ずに眠った。
翌朝目が覚めると、部屋中に酒臭い学生たちが暑苦しくのびていた。飛び起きて、七尾を探した。
家の中のどこにもいない。外に裸足のまま飛び出すと、車がなかった。
「どした」
縁側で歯を磨きながら大西が、森谷に声をかけた。
「七尾さんは、」
庭の水道のホースから、直で口をゆすぎ、首にかけたタオルで、大西は口を拭った。
「なんか友達が朝の船で来るって、ついさっきヤンミと港に迎えに行ったよ」
それを聞いた森谷は、その場にあった自転車を借り、転がるように港へと急いだ。
ここまで追いかけたのに、まだ何も話していない。何も言えていない。どんな一歩も進めていない。あーーーっ、もう、バカか。俺はバカか。また逃がすのか。
そう自分に悪態をつきながら、ペダルを死ぬ気で踏み、港へ向かう。間に合うように。間に合いますように。
港内を一望できる堤防の上で、サングラスをかけた七尾が、ギプスの足を投げ出し座っているのをみつけた。
最初のコメントを投稿しよう!