1、私鉄沿線のリビング・デッド

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 いるわけないだろ。そしていたとして、どうするつもりだ。  自分でもわからない。  最後に会った時は、赤ん坊を膝に抱いていた。  あの人は二人の美女と二人の背の高い男に囲まれており、森谷はそれを遠巻きに見ていた。  森谷の首には赤ん坊の姉である5才のシャロンがまとわりついていて、隣ではケンゾウと牧野が、これから生まれてくる子の名前をどうするか、という話をしていた。  あの人のとろけるような甘い眼差しは、全て、膝の上の小さな女の子に注がれていた。  あんな顔、初めて見た。  ああ。  同じ人にいったい何度失恋すれば、自分は気が済むのだろうか?  小四を皮切りに、二十才に至る現在まで何度も地獄を見た。何回失恋したところで、その苦しみに慣れるということはない。もういい加減、こんな生殺しみたいな状態から抜け出したい。そう奮起して、去年の冬一か八かで動いたのに、一年半経った今も、結局また同じようなところでもがいている。  ただ、今までと違うのは、この状況が失恋しているのか、どうなのかよくわからないという点である。  想いをぶつけた。そして想いは遂げられた。  けれど、その後は? その後はどうすればいいのだろうか。  森谷は、随分長く古本屋の店先にたたずんだ結果、店の中に入るのをやめた。  薄暗い気持ちで、店の扉に背を向けた時のことだった。  瞬間の出来事だった。  突然バサリと、顔に突きつけられたうすいピンクの幾重もの花びらの、ヒヤリとした冷たさ、そのあまりの唐突さ、そして艶やかな強い薫りに、わっと悲鳴をあげたのだった。    いきなり、一抱えはある大輪の芍薬の花束を、投げつけるようにどっと乱暴に受け取った森谷は、淡く柔らかな色彩と色彩の間に、自分の心を捕えて離さない人の、花よりも美しい顔を見た。  目が、笑う直前みたいな形なのに、奥の方がゆらいでいる。口元は微笑んでいるように見えるが、それは口角がもともと少し上がっているからだ。  すいこまれそうに透明な美貌だった。  それなのに。  何も過不足がないのに、うるんでいるように見える瞳の奥の色が、とても暗く寂しそうなのだ。
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