考える人

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  「はいこれ。まず君の名前と住所と連絡先を記入してー」 僕は言われた通り、書類なら基本的な内容を記入した。 僕の字は、枠からはみ出したことがない。 いつも枠より小さく、豆粒のようだ。 字は体を表すとはよく言ったもので、字の小ささは、気の小ささを表しているのだろう。 ならば無理にでも大きく書けばいいだけの話だが、『気は小さいくせに字だけはデカイのか』と思われそうで、『気』が伴うまで書けそうにない。 「はーい。次、この鞄はどこで拾ったー?」 僕からボールペンを取り上げた村尾さんは、自分の鼻先をボールペンで掻きながら訊ねた。 「あの、天寿橋の交差点の、安全地帯です」 「何時ごろー?」 「今から数分前なので、えっと……」 「んー、だいたい8時10分ねー」 あ、大変だ。 大切な事を忘れていた。 仕事に遅刻する。 「はい、でー。君にはね、2つの権利が発生するわけよ」 「権利、ですか……?」 「そ。報労金を受けとる権利とー、拾得物の所有権」 ホウロウキン……て、なんだそれ。 「まー要するに、落とし主が見つかった際に、その落とし主から報労金として5%から20%のお礼が貰える権利ねー」 「500万から2000万です!」 うるさいな、居村さん。 「で、次の所有権なんだけどー。3ヶ月待っても落とし主が現れない場合、そっくりそのまま拾得物が拾得者のものになるっていう権利ねー」 「1億です!」 言われなくても、分かっている。 これは一体どうした事だ。 僕は考える。 駆け足から全力疾走になった心臓。 口の中が一瞬で渇き行く。 「で、この権利ってやつ、放棄も出来るんだわ」 「へ?」 すっとんきょうな返事が僕の口から飛び出した。
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