木 偶

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「ありがと……」 「いいえ。どういたしまして」  中腰になって笑顔でそう返し、そのまま姿勢を戻して母親の方に話しかけた。 「一番手がかかる時期ですけど、一番可愛い時期でもありますから。ああ、それじゃあ私はこれで」 「本当に、ありがとうございました」  母親は最後にお辞儀をした。それに軽く頭を下げて振り返ると父親の方がすぐ側まで歩いて来ていた。  杖のついた女性の身体を支えながら見上げ、私と目が合うと彼もお辞儀をした。  それに返し、彼らの横を通り過ぎて階段を下りて行く。  酒が入っていない時の、善人面した自分自身に私は感心していた。  よくもまあ、抜け抜けとそんな顔ができたものだと。  基本は外面も内面もいい。だが、酒を飲むと普段から抑制された自己が暴れ出す。  その度に妻とケンカになる。それを防ぐため、数年前から妻との約束で禁酒をしているが、出張先などでは思う存分に飲んでいる。  酒がなければ人間関係はうまくいくだろう。だが、それだと自分がいつ壊れてしまうかと不安で仕方ない。  飲んでいない、と嘘をつきながらこっそりと飲む分には、妻は不機嫌な顔を見せない。  だからそう言うしかない。
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