生憎心

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「母さん、いい風だね。気持ちいい」  山から青い匂いを運んで来る初夏の湿った夜風が、一風呂浴びて火照った身体に吹きつけた。  それに気分を良くし、温泉宿を出て歩き始める。  ここら一帯は昔ながらの旅館が立ち並び、昭和風情に花が咲く。  こんなふうに浴衣のまま外を歩いていると、時が止まったまま、或いは過去にタイムスリップしたような感覚になる。  だが現実の身体は日頃の不摂生が祟り、衰弱する一方だ。  最近は夜空に出ているはずの星も見えないほどに視力が弱り、薄暗い夜道では少し先も見えづらい。  緩い坂を少し下った先の、建物の横が明るくライトアップされていて、皆そこに吸い込まれるようにぞろぞろと人が集まる。  私もその賑わう声に惹かれ、赤く小さい橋の手前を右に曲がった。  そこにはいくつかの屋台が並び、テーブルや椅子が用意されていて、酒を呷った人々が日々の憂いに酔い痴れる。
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