生憎心

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「もう、蛍は見に行かれましたか?」  右向かいにいた六十代くらいの白髪頭の男がそう声をかけてきた。 「え?ああ……綺麗でしたよ」 「そうですか。それはよかった」 「……蛍、見に行っていないんですか?」 「ええ。この歳になるとなかなか、足が思うように動かなくてね……」  男はそう言いながら湯の中の左太股をさすっている。 「じゃあ……湯治目的で?」 「ええ。そうです。この時期は混むので、早めに予約しないとなかなか取れなくて」 「蛍など何がいいんですかね?」 「え?」  つい口から出た私の一言に男は戸惑っているようだった。 「いや……昔はこの時期になれば必ずといっていいほど、その辺を飛んでいたって言うじゃあないですか。それが希少となればなるほど皆挙って珍しがる。今ある物よりも失われつつある物の方が価値が高いと言うなら、ゴキブリだって絶滅寸前になれば皆見たがるということでしょう?」  男は苦笑いを見せて首を傾げる。
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