生憎心

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 誰かに話そうものなら、これが救いだと皆口を揃えて唱える。馬鹿な考えだと嘲笑し、それを認めない社会がさらに私の首を絞める。  人々が何を罵倒しようとも、人はいつか死ぬのだ。  その運命が変えられない事実と知っても尚、なぜ社会は自らの命を絶つことを許さないのか。  いつ来るかもわからず、身辺や心の整理もろくにできずに老いて死んで逝くくらいなら、きちんと準備してから死ぬ方がよっぽど意義のある人生だと思うのだ。  突然逝ってしまった母のようには私はなりたくない。自分できちんと納得してから死にたいのだ。  尊厳死(安楽死)というものが許されるのなら、そういった死に方を望む人も数多くいるはずだ。  このまま生き長らえたとして、老いてぼけた頭で何が考えられようか。  たとえ一週間という時間が与えられたところで、そんな短期間で片付けられるものが人生などと呼べるものか。  そんなどこにも向けようのない苛立ちから計十三本ほどのビールやチューハイを空けて、畳に敷かれていた布団に潜り込み、この日は眠りに就いた。
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