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「そのピアノを今度はお孫さんが?」
「まあ、なんというか、孫が弾きに来ると言っておりまして」
「ピアノは、その後、使われていらっしゃらない?」
「お恥ずかしい話ですが、まったく触っておりませんでした」
「そうですか。そうすると調律だけでなく、弦やピアノそのものの状態を確認するところから始めないといけませんね。ひょっとするとメカニカルの交換なども必要になるかもしれません」
「私にはよくわかりませんが、なんとかお願いできればと思うのですが」
「私はもう歳ですし足の調子もあまりよろしくないのでお受けするのはいかがかとも思いましたが、そういうお話であればなんとかお伺いしたいと思います。ご自宅は小学校の傍で郵便局の並びの一軒家でしたね」
どうやら弘明の家を思い出したようだった。
「はい、そうです」
弘明も調律師のことを思い出していた。弘明の一回り上に見える物静かな感じの男性だった。
「私一人ではお伺いできませんのでやはり調律をやっております孫の都合と合わせることになりますが、よろしゅうございますか」
「かまいません。よろしくお願いいたします」
電話番号を告げた。本日中に返事をくれるとのことだった。
夕方になってようやくキレイになったピアノの蓋を開けた。蓋を開けたのは何年ぶりだろうか。人差し指でそっと鍵盤を叩いてみる。思ったより力強い音が鳴った。
「一通り見てくれるそうだ。もしかしたら部品の交換もあるかも知れないな」
「どれぐらいかかりますか?」
「ああ、金か?」
急に現実に引き戻された。悦子はこれから通院して治療を受けるのにかかる費用のことを心配しているのだろう。愛のピアノ代は出すと言っていたくせに。
「大丈夫だ。保険が下りるはずだ」
弘明が入っているガン保険には高度医療の治療費に対応した補償だけでなく余命宣告をされた場合の特約がついているはずだ。
そろそろその話もきちんとしておくべきだろう。
「お父さん」
悦子が呼んでいた。
「このお洋服、愛ちゃんに合うかしら」
いつの間に探したのか、見覚えのある小さなドレスを悦子が両手で広げていた。
「喜美恵が着てた発表会のドレスじゃないか。とっておいてあったのか」
「何も捨ててませんよ」
悦子は笑顔だった。
「道理で家の中が片付かないわけだ」
そう言って弘明も笑った。
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