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店のアルバイトは喜美恵と似たような境遇、夫の暴力から逃げて子供と暮らしている若い女性が多かった。みんな明るく、そして、面倒見もよかった。従業員のロッカーの片隅に置かれたベビーベッドで寝ている愛の面倒はバイト仲間が交代で見てくれた。涙が出るほど嬉しかった。
束の間の幸せだった。
深夜勤務を終え、愛をおんぶしてファミレスを出た。別れたはずの夫が立っていた。
「オレのダチがコレから聞いたって言って教えてくれたんだよ、キサマがあそこのファミレスで働いてやがるってな」
ひどく殴られた。また、口の中が切れた。
しかも、夫は喜美恵のアルバイト代をあてにしているようだった。その日、無理矢理部屋までついてきた夫は嫌がる喜美恵を押さえつけ、自分だけ満足してしまうといびきをたてて寝てしまった。この部屋に転がり込むつもりだということが喜美恵には分かった。
何もなかったようにアルバイト先に行った。この中の誰かが自分の居場所を告げ口したのかと思うと、もう誰も信用できなかった。それがとても悲しかった。
一週間後、バイト代を受け取ってからそのまま、誰にも何も告げずに逃げ出した。
どこにも行くあてはなかった。愛と一緒に死んでしまおうかとも思ったが、それはあまりに悔しかった。何とかして幸せになりたかった。恥とか外聞とか、そんなことはもうとっくにどうでもよかった。
「お母さん、喜美恵。うん、うん、元気。あのね、お願いがあるんだ」
実家に電話していた。母親に金を無心した。高校生の頃、バイト代を貯金しておくのに作った口座、夫には教えていなかった口座に金を振り込んでもらった。
「お父さんには言わないからね」
そう、母親は言った。
「うん」
返事をしながら泣いていた。親以外に頼る人間はもう誰もいなかった。
「別れたあの人から、ひどい電話、かかってきたよ」
母親の声も震えていた。
「ごめん」
「帰ってこなくて大丈夫?」
「うん、大丈夫」
「どうするの、これから」
「わかんない。でもしばらく連絡できないと思う」
「愛ちゃんは元気?」
「うん。今寝てるから」
「また、声聞かせてね」
「うん」
もう返事ができなかった。受話器を戻してから公衆電話のボックスで泣きじゃくった。泣き声で驚いたのか愛も目を覚まして泣いた。二人で泣き続けた。
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