楽しき農夫

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 電話では十万円と伝えたのに、カードで確認した残高は三十万以上になっていた。何もかも新しくやり直すつもりだった。新幹線に乗って仙台に向かった。東京から離れたかった。知っている人が誰もいないところでやり直したかった。  中学生の頃、目立たないタイプの同級生のお姉さんが東北大の法学部に通ってると話していた。東北という言葉に反応して「田舎だあ」と笑う同級生がほとんどだったが、飛び抜けて勉強のできる女の子が一人だけ、けっこうすごいね、と感心していた。勉強のできる女の子は同級生に東北大学のことを色々と聞いた。横で喜美恵も聞いていた。大きな川を渡った先の広いキャンパス。女の子は広いキャンパスに憧れていると目を輝かせていた。  それを覚えていた。  仙台についたその日に広瀬川を見に行った。普通の川だった。東北大学のキャンパスにも足を伸ばした。  本当に広いんだ。  赤ん坊を抱えた母親の姿は、その広いキャンパスには不似合いに思えてならなかった。  ここにいる学生たちとさほど変わらない年齢なのに。  子どもの頃は自分もいつかは大学に行くものだと思っていたのに。  どこでどう間違えたのか。それを思うと涙が溢れてきた。  運良く、運送会社のキーパンチャーの仕事を見つけた。愛は無認可の託児所に預けた。仕事にはすぐ慣れたが、喜美恵が入ったぐらいのタイミングで、運送会社自体の仕事が見る見る減っていた。働き始めて3ヶ月、入力する伝票が最初の3分の1ぐらいまで落ち込んだ日が数日続き、社長に呼び出された。 「申し訳ないけど」  あんたが来てから景気が悪くなった。だから他の仕事を探してくれ、ということだった。どこか紹介していただけませんか、と聞いたが、それまでは我慢していたのだろうか、急に不機嫌になった社長は、こっちが紹介してもらいたいぐらいだと言って喜美恵をにらみつけた。  一番町の外れにある小さな居酒屋で募集していた店員の仕事を始めた。店主夫婦は人当たりがよかった。が、最初の給料は説明の時より大幅に少なかった。どうしてですか、と聞くと、色々天引きされるからと答えられた。厚生年金も雇用保険も入っていませんよね、と言ったら、明日からもう来なくていいと言われた。
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