楽しき農夫

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 愛が小学校に上がる直前に夫はセールスドライバーを辞めた。前に話していた電気工事士の資格を取り、しょっちゅう話していた昔のバイト先の電気屋で働き始めた。ドライバーに比べると給料は大したことはなかったが、実務経験積んだら上の資格取るよと夫は嬉しそうに話していた。十年ぐらいしたら家が買えるかもと夫婦で盛り上がった。 「家買ったら、何か欲しいものある?」 「わたし、ピアノが欲しい」  あの頃が一番幸せだった。  愛が三年生になった春、スクーターに乗っていた夫が事故にあった。仕事の帰りだった。二段階右折の大きな交差点で直進してきたトラックに突っ込んだ。本当にあっけない終わりだった。警察から事故の様子を説明された。トラックに過失はないそうだ。自賠責はともかく、任意は入っていなかった。死亡時の給付があるような保険の類はそろそろどうしようかと相談していた矢先だった。電気屋に労災の相談をする気はなかった。そもそも雇用保険も年金も、何もかもが曖昧な状態だった。  初めて夫の両親に会った。ほとんど言葉を交わすことも無かった。火葬場に行くことは断られた。  また、愛と二人になってしまった。  わずかな蓄えのことで夫の両親と揉めたくはなかった。マンションからは出て行くことにした。いい思い出ばかりのこの部屋から出ていくのは寂しい。だが、夫のいないこの部屋で過ごすのも悲しい。少し気が弱くて優しくて、愛を実の子のように可愛がって喜美恵の手料理を喜んで食べてくれて。何もかも本当にいい夫だった。いつかはきちんと籍を入れて、それからはずっと一緒に年をとっていくものだとばかり思い込んでいた。  連絡をとっていなかった実家の母親に電話してみた。家族のことなど気にしたこともなかった父も、もうすぐ定年だそうだ。母の口から別れるという言葉を聞いて驚きながらも、やっぱりという気もしていた。  母親から一緒に暮らそうと言われ、心が動いた。母と一緒になら暮らせるかもしれない。実家に帰るのではなく、どこか、ちょっとだけ離れたところで暮らせばいい。それなら、父とは顔を合わせなくても済むだろう。  東京に戻る心づもりを決め夫の遺品をすっかり整理したその日、母親から電話がかかってきた。声が聞き取れないぐらいに泣いていた。どうしたの、と聞いた。お父さんがどうしたの。 「お父さんがガンなの」 「エッ?」
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