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なにせ私の実力をねたんで、いつどこで他の人形が技を盗みに来るかわかったものではない。さぞがっかりしたことだろうが楽しみを後に取っておくのだと思って、次の呪いのターゲットが決まるまで少々のご辛抱をお願いする。
話は変るが、最初にも言ったように呪いの市松人形は認知度が高く、特に夏になると映画やドラマにと引っ張りだこになってしまう。そのことを喜ぶ人形達もたくさんいる、しかしだ。私はテレビなどというチャラチャラと浮ついた物に出ている、呪いの市松人形を呪いの市松人形とは認めていない。
確かに私達の存在がここまで有名になり、多くの人間へ一度に恐怖を与えられるのは、テレビという媒体がなければ実現しないことではあろう。それは私も認めるところではある。だがしかし、テレビに出ている連中はどいつもこいつも基本がまるでなってない。
魂のかけらも入っていないごく最近作られた人形達が、これまたごく最近作られた着物を着て、人口の髪の毛を振りかざす。これは呪いの市松人形の品位を下げる由々しき事態だ。
人間が呪いの市松人形と普通の市松人形の区別が付かないものが多いのは知っているが、あんなまがい物を使っていてはどのようにこった演出をしようとも、本当の恐怖は引き出せないだろう。こちらとしても知名度が上がるのは嬉しくとも、あのようなまがい物をあたかも本物のように引き合いに出されたのではたまったものではない。
「まがい物」。それは心が広い私の、数少ない嫌いなものの一つだ。
何故そこまでまがい物を毛嫌いするのかと言うと、私の姿を見ていただければすぐさまご理解いただけるだろう。
六十年前に職人の手により作られた特注品である私は、まとう着物も加賀友禅の高級品。そしてなんと言っても一番の自慢は髪の毛だ(少し前も説明したような気がするが、大事なことなので何度説明してもかまわないだろう)。色は黒々と艶やかで、真っ直ぐに乱れなく垂れ下がる様は美しく、さわり心地は人間のそれと変わらない。素材が良いということももちろんあるが、これは長きに渡る修行の成果であるところが大きい。おっと、ついつい口を滑らせてしまった。私としたことが少し気分が高揚してしまったようだ。
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