第1章

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 「あいつ」が不思議そうな顔をして、私の顔をじっとみる。不本意ながら見つめられて「どきどき」してしまった。 「えっと。そ、その、上げてくれて。店長に言ってくれてありがとう」 「ああ、なんだ。僕も上げてもらうように頼む時に、ついでに言っただけだからさ」  そう言って、「あいつ」はまた微笑んだ。  この笑顔に、その辺の女の子は騙されるに違いない。  でも私は違うわ。  私は騙されるもんか!新人に事あるごとに小言を言うような、性格の悪いお前なんかに!  私の心を知らずに「あいつ」は前を歩いて行く。歩道には既に雪が十センチくらい積もっている。反対側を歩いている人が滑って転んでいた。  私は転んだ人を見て気が付いた。私の歩く道は、歩きやすい事を。そして、その理由にも気が付いた。  私は、前を歩く「あいつ」の後を歩いている。「あいつ」は歩きやすい、滑りにくそうなルートを進んでいる。「あいつ」はトレッキングシューズのような靴を履いているので、普通に歩けそうなのに。  私は気付いてしまった。「あいつ」は私が歩きやすいように導いてくれている事を。滑りやすそうな雪の塊をさりげなく脇に蹴飛ばしてくれたりもしている。  悔しいけれど、私の中の「あいつ」の評価が少し上がってしまった。  駅に着いて、少し遅れた電車に私たちは乗り込んだ。午後三時、電車内は普段よりも人が多かったけれど、二人とも座る事が出来た。 「ゆかりさんは神木駅だよね? そこからは歩き? バス?」  隣りで「あいつ」が聞いてきた。  神木駅はあと駅にして七つ、時間にして二十分くらいだ。  そういえば「あいつ」の最寄り駅はどこなのだろうかとふと思った。  でも、それを聞くと私が「あいつ」に興味を持っていると勘違いされるかもしれないから、聞かれた事だけ答えたのだった。 「じ、自転車です」 「そう。自転車かぁ。この感じだと自転車は無理だね。今日は歩いて帰った方がいいよ」  そうだった。駅に着いてからの事は考えていなかった。「あいつ」の言う通りに自転車など置いて帰りたい。でも姉の自転車を無断で拝借してきたのだ。放っておいては姉に怒られる。 「あ、姉の自転車なので……。乗れないかもしれないけれど、押して帰ります」  自転車を押して歩く我が身を想像して憂鬱になる。
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