第1章

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 俺は寝たふりをしてそれを見送った。 『勇魚ちゃん。受かったみたいよ』  時間はばたばたと過ぎていく。  気がついた時には、勇魚はもう町にはいなかった。  剥ぎ取られた鱗のように、俺の身体にぽっかりと白い肌を晒して消えてしまった。  春が来て、夏が来て。  客が引けた後の海の家。吹き抜けの座敷のぼろい長テーブルの横で、オレはまたごろりと寝そべった。海からの風があの頃よりも少し長くなった俺の髪を揺らしていた。夕方になってまばらになった海岸には、それでもまだ数人の人がいて、もうすぐ終わる夏を惜しんでいる。  大盛りのヤキソバと赤い紙コップの氷の入ったメロンソーダ。 「いいんですか」 「いつもお手伝いして貰ってるから」  ひじをついてテーブルを見ると勇魚のかあさんに言う。 「いいのよ。もう、終わりだし」  帰って来なかった勇魚の代わりに、忙しい時には店を手伝っていた。テーブルの前でヤキソバを箸でつまみながら、もう夕方にさしかかった午後の海を見る。午後の日差しが反射して海を光で照らしている。暗い海の中を、本当の思いを隠すように。  あの日もこんなだったな。  勇魚とはあの冬の日、倉庫で抱き合ってから一度も連絡を取っていない。勇魚も連絡を寄こさなかった。どうしているのか、聞きたいと思った。けれど、聞いてしまえば、俺たちが連絡を取り合っていないというとがわかってしまう。そうすれば、何故、俺たちが連絡を取りあわないのかを説明することになる。  そんなことは出来なかったから。  勇魚がいなくなったことで、俺の周囲は少しだけ騒がしくなった。けれど、そのどんな誘いにも俺は応えなかった。そうしていると、荒れていた海が凪ぐように、俺の周囲は穏やかになった。  勇魚はどうしているだろう。泣いたりはしていないだろうか。それとも、もう誰かがいて、泣いている勇魚を慰めているのだろうか。ずきっと胸が痛む。  海からの強い風が俺を揺らした。  目を細めて、反射する海のその下を見ようとする。  見えるわけはないけれど、見えたらそこには勇魚の白い肌が見える気がした。 「風太」  聞こえるはずのない声に視線をあげた。  長袖のシャツに黒いジーンズ。麦わら帽子に薄く色のついた眼鏡。一年前そっくりの勇魚。ぐいと腕を引かれて立ち上がった。 「勇魚!……あんた!」
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