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追いかけてくる勇魚のかあさんの声を振り切って、つっかけたサンダルで走り出す。泳ぐ魚のように走る勇魚の麦わら帽子が強い風に飛んでいった。短くて茶色の髪が風に舞う。それは俺が最後に見たときには学生らしく黒かったのに。
その茶色は真っ白な肌の勇魚には似合っている。ずきんと胸が痛む。
砂を撒き散らしながら、倉庫の中に駆け込んだ。
まだ開いているシャッターの前、眼鏡をかけた勇魚の姿をじっと見る。久しぶりに見たその姿。白いはずの頬が赤い。首も。太陽に当たったせいだとシャッターを降ろした。
背中から巻きつく腕。少し低い背の吐き出す勇魚の息を肩に感じた。
「風太」
俺は何も言わなかった。言えなかった。
灰色のシャッターをじっと見ながら、ただ身体を強張らせる。
「オレ、卒業したら、こっちに戻ってくる。だから……」
それまで、待ってて。
掠れた小さな声に、詰めていた息を吐いた。
腕をあげて、後ろに抱きつく一回り小さな身体を覗きこむ。灰色に曇った眼鏡の下の涙でいっぱいの瞳を見た。
「勇魚は向こうのほうが暮らしやすいだろう」
仲間もたくさんいるだろう。生き方に干渉なんかされないだろう。ここにいるよりも、自由に泳げるだろう。倉庫の天窓から射した光の中の淡く輝く茶色の髪がそうなのだと囁く。
「だけど、風太がいないよ。オレは海(ここ)を離れても生きていけるけど、風太を離れては、生きていけないんだ……出来るかな……出来るかもしれないけど、嫌なんだよ。そうしたくないんだ」
縋る瞳。白いのど仏がごくりと持ち上がる。大きな涙が盛り上がって、赤く焼けた頬を流れる。俺に会いたくて、日焼け止めも塗らずに走って来た。
「も……もう、誰か、いる?オレ、じゃダメになった?」
「いない」
身体をひねって、背中に抱きつく勇魚を引っ張った。子供みたいにわあと泣き出した身体を抱きしめる。
「勇魚」
「寂しかった」
「うん」
「好き、好きだよ」
「うん」
何度も何度も好きだと言っては泣きじゃくる勇魚に唇を重ねて、お互いの身体の高ぶりをこすりつけあいながら抱き合った。しばらく使われていなかった寝袋の上に勇魚を押し倒して、白い肌に吸いつく。押し上げて外した眼鏡が埃っぽいコンクリートの床の上でカシャッと音をたてた。
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