第1章

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金で手を切れと迫られた。 紳士的な服を着た男たちに、「二度と多恵子の前に姿を現さないでください」と言われた。 偉いところのお嬢様だなんて知らなかった。アパレル界でも有名な、名前を聞いたことのない人がいないほどの大手の会長の娘だなんて。 俺はただファッションが好きで、専門学校の中でも多恵子と一番気が合った。 ループタイの可能性について、麦茶とジュースだけで4時間語り合った。 なにが粋でなにが粋じゃないなんて議論を夜通しして、そうするうちに愛し合っていた。 多恵子。 学校に下駄はいて来てたっけ。 真冬でも下駄、それが粋なんだと言って。刺繍糸で編んだミサンガ的なものを鼻緒に巻きつけ、同じものを髪の毛にも編み込んで。 紳士服の皮をかぶったお偉いさんたちにとって、俺が彼女の将来に関わらないことは1億円分のメリットがあるらしい。 俺の父親のことを調べたのだろう。会社の金200万円を横領して、今は刑期を務めている。 俺のことも金に目がない人間だと思っているのか? 俺の気持ちは、1億円分だったのか? ・・・疲れた。 考えるのに疲れた。 俺は生活者だ。ここは現実的になろう。 1日1万円使って、何日暮らせる? 3年でおよそ1千万か。30年くらい暮らせるってことだ。 働かずに。 腐るぞ、そんなことしてたら。 俺の本能が危険だと叫ぶ。 社会に戻れなくなるぞ、100パーセントの確率で。 「それってゼンゼン粋じゃない」 多恵子の声が聞こえた気がした。 彼女と語り合った夢の話を思い出す。 そうだ・・・ 一番行ってみたかったところに行こう、と思い立った。
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