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「お前さん、相変わらず呑気だねぇ。彼奴らから、まともに何か施された覚えがあるとでも言うつもりかい。あちらでもそちらでも毎度、搾取されるばかりじゃあないか」
「おっと心配してくれるのか。身に余る光栄だな」
橋姫がふたたび両の手で、錫杖の男の頬を包み込み、今度は彼の両の目を覗き込む。姫などと呼ばわれていても異形であり、魍魎である。健常な者であれば、彼女の妖しい力で操られてしまうのが常だ。法力がある故か、男は奇妙にも見える独特な虹彩の見分けづらい瞳で女を見返すと、彼女の腰を抱く腕に嬉々として一時だけ力を込めただけだった。
僧にしても、全く底の知れぬ男じゃ。生まれついて柵に縛られた可哀相な男でもあるが。
男の背景に詳しいのだろう。吐露されない橋姫の胸中の呟きは、錫杖の男には聞こえない。
「仕方ない。十二姉妹の行々子に葦原への渡しを頼んでみようか。あの娘が一番近い」
西葦原の対岸にある洲の連絡通路には、昔から十二の小さな橋が架かっている。それぞれの橋には、小さな十二人の仲睦まじい橋姫姉妹が棲んでいるらしい。思案という名の橋姫から、対岸の一番近くに位置する行々子という名の橋姫まで。
「恩に着る」
「手紙を届けてもらったしな。けれども、それだけでは足りぬ」
橋姫は呆れたようにため息をこぼし、連理に対する確信犯の如き艶めいた唇で微笑む。
「勿論、今の言葉だけで済ますつもりではなかろう?」
途端に大きな白蛇のようなものが、錫杖の男の首筋にあっという間に巻きつき絡みつく。恐ろしい美貌を持つ橋姫の、幻のような肢体が男に重なった。
膨大な混沌とした白い靄が段々と拡がって、二人の姿を押し隠すように包み込んでいく。
やがて、何もかも見えなくなった。
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