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バニラのような甘い香水の匂いが記憶に蘇る。
カリカリと紙にペンを走らせる音が響く。
一哉くんに彼女がいないわけがない。いたってどうってことない。むしろ一哉くんのルックスならいる方が自然だ。
ぶうんとかすかに冷蔵庫の唸りが聞こえてくる。
でも彼女が、自分の彼氏の部屋に、他の女がいると知ったら? そこまで思い至って、胸の奥が痛む。自分の夫に、女がいると知ったら?
重なる状況に慌てて頭を振る。この先をこれ以上は考えたくない。
また寝返りをうつと、肌触りのいいシルクのシーツがかすかに音をたてる。この部屋にこうして一哉くんがいると、人の気配に安心できる。言葉を交わさなくてもそこにいてくれる。それを感じているだけで、こんなに心強いものだとは思わなかった。
カチカチと時計の針の音が規則正しい音を響かせている。地上から四八階のこの部屋では、ただゆっくりと眠っていたい。煩わしいことはすべて忘れてくるまっていたい。
うつらうつらし始めたその時、煙草の匂いが鼻を掠めた。思わず体を起こすと、一哉くんが煙草を吸う姿が目に入る。ゆらりと一筋の煙がくゆるようにしてたちのぼっている。
「煙草吸うんだ……」
メンソールで有名な銘柄のクールをしなやかな指が挟んでいる。男の子の手というより、生まれもった美しい造形。ふと聞こうと思っていた疑問が蘇る。煙草を吸える年齢は二十歳からだ。
「そういえば一哉くんって、年いくつなの?」
「ジューハチ」
「……え?」
一瞬、言われた数字と煙草の吸える年齢とが結びつかず、目を瞬かせる。
18歳?
閃くように頭の中に淫行の罪というワードが浮かぶ。それって、いくつからだっけ。いやむしろ私と十歳近くも歳の差がある。いやそれより、煙草は未成年はダメなはず。未成年っていくつのことだっけ。これって犯罪? 混乱と焦りに充電していたスマホを手にして検索する。
「……ぷっ、は、ははっ、涼さん……!」
そんな私を眺めていたのか、一哉くんがいきなり吹き出す。そのまま体を折り曲げて、キーボードのイスから床に転げ落ちるようにして笑いだす。これまでほとんど無表情で弾けるように笑う一哉くんの姿についていけず、呆然と一哉くんのことを見る。すごく笑っている。18歳と言ったその年齢らしいあどけない表情で。
「あはは、ほんっと涼さん……!! 分かりやすいっつーの」
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