少しずつ縮まる距離、そして予感

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「こちらこそ……うまく交わせなくてすみません」  一哉くんのプロレスの寝技に、陣内さんが悲鳴をあげている。同情はしないけれど、ふと嫌な気持ちになっていないことに気づく。  職場だと明らかにセクハラだ。でも陣内さんからの言葉は他意がない。当然分かっていることをあえてきいて、むしろ一哉くんが噛み付いてくるのを楽しみにしている。そんな気がする。陣内さんなりの、一哉くんへの親しみの表し方なのかもしれない。寝技をかけられながら、陣内さんはやんちゃな弟を相手にするかのように嬉しそうだった。 「そうだ、涼さん。明日のライブ、来てください。改めて他のメンバーも紹介しますから」  二人を放ってお酒をゆっくり嗜んでいた瀬古さんが思いついたように切り出してくる。 「ライブはきちんと聴きたいですけど、でも紹介なんて。ファン歴も浅いんですよ?」 「関係ないですよ。一哉の歌を聴いてあげてください。きっと喜ぶから。分かりにくいですけど、あれでも彼なりに涼さんを見てますよ」 「そ、そうですかね……」  たとえリップサービスでも、一哉くんが少しでも自分を好いてくれるなら、それはすごく嬉しい。感情を見せるタイプじゃないから、時々何を考えているのか分からなかった。瀬古さんのような身近な人にそう言われると説得力が違う。 「なに、司までワケわかんねーこと言ってんの、変な話すんなっつーの」 「わめかないでくださいよ」  陣内さんがラグの上で伸びている。一哉くんがノックアウトしたらしい。今度はまるで子狼のように瀬古さんをキッとにらみつけている。軽くあしらう瀬古さんには逆らえないらしく、一哉くんはふてくされた顔でビールを飲み始める。それを瀬古さんが飲み過ぎないように注意している。  こういう家族のような居心地のいい空気は好きだった。なじませてもらっている自分もすっぴんで、なんの遠慮もいらない。そんな場のお酒が、こんなに美味しいとは思っていなかった。静かにお酒を飲みながら場を見守る瀬古さん。伸びて、すでに大いびきをかきはじめている陣内さん。そして可愛がられている、年相応な一哉くん。 久しぶりに頑になっていた体の芯がほぐれていく気がしていた。  ラグの上で微動だにせず大きな鼾をかいている陣内さんに、起こさないよう毛布をかけた。
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