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冷静な言葉とともに、ばさりと白いバスタオルが目の前に放られる。裸の、しかも年上の女を前にしての堂々とした余裕に呆気にとられる。お礼を言うどころじゃない。おそるおそるバスタオルを手元に引き寄せて、その人の様子をうかがう。
彼は、無表情な顔でコップを片手に、床に散っているスコアを器用に片手で拾い集めている。音楽をやっている人だ。記憶を探っていると、あのライブのヴォーカルの顔とかぶってくる。というより、恐らく本人。ただなぜこういう状況になっているのか、どうしても思い出せなかった。
「あの……、服は……」
「洗濯中」
短く答えて、彼は、白いカーテンを思い切り引いた。さっと強い光が部屋を満たして、あまりの眩しさに一瞬目がくらむ。慣れてくると、窓の向こうには雲一つない青空が広がっていた。
彼は、白い逆光の中で輪郭をとかしながら、大きく腕をあげて伸びをしている。
「ね、散歩行かない?」
快晴の空そのままのあっけらかんとしたトーン。そして光の向こうで振り返って自分を見たキレイな顔がかすかに笑っている。
さきほどの仏頂面のような無関心の顔とのギャップに頭が追いつかない。けれど、その爽やかな風のような印象が鮮やかに私の視線を釘付けにしてしまっていた。
悪い夢か何か見ているのかもしれない。そう思わないと、今置かれている状況が信じられなかった。
彼の後ろをついていきながら、今出てきたマンションを反芻した。オール電化の室内。2LDKタイプを1LDKタイプにした間取りで、天井も高く広い。リビングダイニングだったらしいメインの部屋は、寝室でもあり、40畳はありそうだった。ウォークインクローゼットに床暖房、デザイン性の高いキッチン。風格あるエントランスにはコンシェルジュもいた。新築分譲マンションにある設備はすべて最新。
窓からは色素の薄い空が見えた。開放的な眺めが広がっているのは、このマンションが超高層だからだ。しかも渋谷駅に近い。この大通りを行けばすぐに渋谷駅に出たはずだ。立地、環境、マンション設備といい、かなりな高級マンションに違いない。圧倒的に自分が住んでいる横浜の部屋とは格が違った。
そこにまだ少年のように見える彼が住んでいること自体、現実離れしている。どうしても私の目の前を歩くスウェット姿の少年と、今出てきたマンションの相場が結びつかない。
「朝飯、公園でいーよね」
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