0人が本棚に入れています
本棚に追加
「夜分遅くにごめんね。有朋君」
襖が開いて榎並巡査部長が顔を出した。いつもの通り、くたびれたスーツによれよれのネクタイを形ばかりに下げて、部屋に入るなり、黒ぶち眼鏡のレンズを曇らせた。
「かまいませんよ。どうぞお入り下さい」
有朋はロッキングチェアから立ち上がって、榎並にソファを勧めた。榎並はおずおずと部屋に入り、コートを丸めてソファの隅に置くと、ポケットから皺くちゃのハンカチを取り出してレンズを拭った。
「いやあ、今夜も寒いですねえ。有朋君、毎回毎回申し訳ないんですが、犬に噛まれたと思って」
「犬に噛まれたって」
公平が笑った。
「話を訊くのはかまわないのですが、お役に立てるかどうかは分かりませんよ」
有朋がロッキングチェアに腰を下ろした。
「いえ、実際お役に立っているのでご心配なく」
榎並の変な日本語に有朋が苦笑する。
十歳も年の離れた二人の主従関係は他人から見るとかなり不思議だったが、有朋のアドバイスで解決に至った事件も少なくない。榎並は有朋の洞察力に尊敬の念すら抱いていた。
彼は鞄から資料と現場の写真を取り出してテーブルに並べ始めた。公平が身を乗り出す。
「今回の事件は自殺か他殺かで迷っているんです」
「えっ、そこで迷ってんの?」
公平が驚いて榎並を見返した。
「うん。限りなく自殺っぽいんだけどさ…」
榎並はそう言うと、ことのあらましを話し出した。
最初のコメントを投稿しよう!