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さらに気持ちが落ちこみそうになって、気をまぎらせようと食器を洗い始める。
淋しいけれど、気にしていてもしょうがない。
その時、ふいに一哉くんが肩口から覗きこんだ。
ビクッとしてお皿をもつ手が滑りそうになる。
「わ…っぶね」
一哉くんが背後から腕でお皿を受けとる。
その動きの瞬間、ふっとバニラのお菓子のような香りが鼻腔をくすぐった。
香水だ。
「レタス炒飯?」
「う、うん。簡単なものだけど、卵スープとサラダもあるよ」
一哉くんから漂ってくるこの香りは、どう考えても女の子がつける類のものだ。
彼女、と会っていたのだろうか。
そう思った瞬間、どこか胸の奥が切なくなった。
「じゃ食う」
自分にまとわりついている香りに気づかないようなタイプではないだろうに。
見知らぬ香りをつけた一哉くんが、知らない人に見えてなんだか気持ちがざらついた。
何も気にしていないように表情を変えもしない一哉くんはキーボードの方にいく。
上に着ていたはずのTシャツを脱いで上半身裸だ。
軽く腕をストレッチさせながら歩いていくその背中の筋肉が流れるように隆起する。
きれいな背中だと目が一哉くんを追ってしまう。
一哉くんはキーボードの前に座って、どうやら音楽のことを考えてるらしい。
その一哉くんがちらりと私の方を見る。
慌ててスープの鍋を温め直す。
彼女がいたっていなくたって、気にすることじゃない。
別に私と一哉くんの関係は、恋人ではないのだから。
作曲なのか作詞なのか、そんな基本的なことも分からない私は、作業しながらでも食べやすいようにワンプレートにレタス炒飯とサラダをよそい、マグカップにスープを注ぐ。
持っていってあげようと思ったとたん、彼女でもないのにそこまでして、とひねくれた気持ちが頭をもたげる。
「一哉くん、自分でもってってくれる?」
「あー…?うん」
少し険のある声が出てしまう。
それに一瞬びっくりしたように一哉くんが私を見て、おとなしくキッチンの方にくる。
その素直さが、自分の大人げなさを浮き彫りにして自己嫌悪に陥る。
手をさしだす一哉くんにマグカップとプレートを渡す。
マグを受け取った一哉くんは、口につけた。
均整のとれた少し薄めの唇が私の作った卵スープをのむ。
「…うま」
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