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第1章
1
ぽたっ、ぽたっと少女の手に温かい液体が落ちた。
肩筋を緩やかに覆う綺麗な黒髪の後ろに大きなリボンが見える。あどけない横顔、白磁のような肌は感情の高ぶりからうっすらと紅潮している。頼り無げな小さな背中は微かに震えていた。
少女は俯いて、つぶらな瞳に涙をいっぱいに溜めて、昏睡状態の姉の傍らにずっと付き添っていた。
先程着替えさせたレモン色のパジャマ。そこから伸びる姉の二の腕は怖しい程細い。ベッドの上、死んだ様に横たわるこの部屋の主。少女より四歳上の、少女と酷似した容貌。左手の甲に刺さる点滴の細い管が痛々しかった。
包帯にくるまれたその指先に、少女火冴は、そっと触れた。指と指とを絡めて、ギュッと握った。
「うっ、ひっく…うぐっ……」
すすり泣く声がもれた。
言い知れない孤独感が、少女の体を包んでいた。いつもの、飄々として憎たらしい程余裕のある姉の笑顔を火冴はもう、ずいぶんと長い間見ていないような気がする。
まるでツムに刺されたいばら姫のよう。
そのお城というべき八畳の空間に、久方ぶりに顔を出した太陽の柔和な陽射しが差し込んでいる。窓際にはギンガムチェックのカーテン。淡いベージュ色の壁紙で囲まれた部屋。女の子の寝室にしては温かさと華やかさが著しく欠如している。人の匂いそのものを余り感じさせない。壁にはもう、一週間以上もほったらかしの高校のブレザーがかかっていて、さみしそうだ。
姉が倒れて、火冴は自分でも驚く程不安にかき乱されて、泣いて、そして嫌になるくらい思い知らされた。今や姉の存在が、自分の心の多くの部分を占めているということに。
「みなと…おねえちゃん……私、もう、生意気なこと言わない。イジワルもしないよ。これからはおねえちゃんって呼ぶから。だから、起きてよ。目を覚ましてよ。いつもの軽口で私をイライラさせてよ」
絞った声で火冴は呟いた。
初めて「おねえちゃん」と呼んだ。
何度もその言葉を、火冴は繰り返した。
その時、くすっ、という笑い声が、暖房でぼやけた空間を振動させた。
握った指先から火冴は力を感じた。顔を上げると、『おねえちゃん』が口元をほころばせていた。見開かれた大きく深い黒瞳が優しい光を放っていた。
見慣れたはずの笑顔だった。
彼女の、少し震えつつ伸ばされた手が火冴の頬に触れ、伝う涙を拭った。
「あ、ああああ、み…みなと!」
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