第1章

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 でも、冗談であることは水透の目を見れば分かる。彼女の言葉の全てを手放しに信じるほど佐助はおめでたい思考を持ちあわせてはいない。佐助は水透から弟のように、更に言うならば男性として見られていないようなのだから。  それに、水透がこの地に留まるメリットは実のところ少ない。佐助が同じ立場なら、きっと逃げ出していると思う。  水透をそっと見つめる。「ん?」と微笑みを返してくる。  その人懐っこい笑顔を見ると、佐助はいつも居た堪れない気持ちになる。  彼女をとりまく凄惨な環境を思うと……。  明るくお嬢様気質の彼女。  いつも笑っている。  強がりで世話好きで、それでいて甘えん坊なところもある。  口は少し悪いけれど温かな優しさを見せてくれる。  誰からも愛される要素を十二分に備えている。  それなのに……。  藤嬢水透は、昔、人を殺している。  二年前、水透が高等部に編入して来てから間もなく、こんな不穏な噂が流れ始めた。当時中等部の三年生で、まだ、バイトで知り合う以前の佐助の耳にも、それは届いていた。  その噂のタチの悪いところ、どうしようもないところ……。 それが、本当に、真実だということにある。  水透の生まれ故郷である片田舎、瀬芳養市では有名な話だという。風聞を広めたのは、同郷の者であろうか。瀬芳養市は遠く離れているものの、登美耶麻の高校に遠距離通学する者は少数ながらいるのだ。  水透が十二歳の冬、彼女の住む地域で、小学生が次々と誘拐される事件が起こった。拉致された子供たちは、その後、例外なく死体で発見されていた。  残虐な殺人者…その木間伊佐雄という男は、普段は温厚な青年であったが、少年時より尖った刃物、特にアーミーナイフを嗜好し、収集する危険な性質を内包していた。 事件後、警察の見解によると、彼は愛するコレクションたちの切れ味を試してみたくなり、自分より弱者の少年少女たちを標的に選び、惨劇を繰り返していたのだという。  そして、次なる犠牲者は、水透だった。  木間は学校帰りの水透を無理矢理自分の車に連れこみ、近くの廃工場に監禁した。  発見されるまでの三日間、木間と水透の間に何があったかは分からない。 だが、紛れもない事実。それは最後の時、それまで手にかけた子供たちと同様に水透を切り刻もうとした木間を、当時、小学六年生の少女が抵抗し、返り討ちにしたことである。
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