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驚愕、歓喜、安堵の表情、そして、号泣。
火冴は姉の首筋にしがみついて泣いた。その温もりを体いっぱいに感じた。
「もう、バカ心配させて! 急に倒れるから、私…」
ひと泣きした後、くしゃくしゃの顔のまま火冴は姉を見上げた。
「みなと?」
呼びかける火冴だが、姉の反応は鈍い。どこか、おかしい。
「どうしたの、みなと? まだ調子悪いの?」
彼女の姉は戸惑いの表情で、まるで初めて言葉を発したかのようなたどたどしさで、こう言った。
「え、ええと、ごめんなさい、まだ、頭が働いてないみたい。ところで、あなた誰? 私は、誰なの?」
「あんたの名前は水透! なんにもできない役立たず! 藤嬢家の面汚しにしてウジ虫で寄生虫で厄病神でとにかく最低な女よ!」
数時間後、藤嬢火冴と彼女の姉水透は寒空の下を歩いていた。
火冴は仏頂面のまま、歩みの遅い水透を放っておいて、どんどん先へ進んでいる。殺気だっている。気の弱い者なら、この少女のひと睨みだけで心臓マヒを起こしそうである。そんな迫力にあふれていた。
「待ってよ、おいていかないでよ」
間延びしたおっとり声があとに続く。姉の方は見るからに具合が悪そうだった。
「待たない。ついて来られないなら、死んでしまえ」
「ひどいよ」
水透はベソをかいている。顔色もやや悪い。そもそも7日も病床にあった人間をすぐに外へと連れ出すこと自体、常軌を逸しているのだ。
彼女らの背後にそびえる藤嬢家はやや古びているものの大きくて広い。この地方の名家。2ダースの使用人が控え、高級車を駆るお抱えの運転手までいるのだ。
出かけ際、勤続二十年の紳士・君島義仲運転手が「お嬢さま方、僭越ながらわたくしめがお送り致します」と遠慮がちに申し出たのだが、途端に火冴の狂気の眼光に射ぬかれ、気圧されて、「ヒッ!」と情けなく叫び、そして口を噤まざるを得なかった。
「余計なこと言わないの! 必要ない、断じて必要ない! こいつはね、もう7日も惰眠を貪っていたんだから、少しは運動させるといいのよ! リハビリ代わりにねっ!」
ひたすら平身低頭する君島を後ろに残し、火冴は姉の手を無理矢理引いて屋敷を飛び出して行った。
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