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「あ、これで終わりです。繋ぎの卵は5つでいいんですよね。ひき肉と一緒にボールに入れておいてください」
「うん、わかった」
バイトに入った途端、彼女の目は真剣味を帯びる。キッチンを見渡す嫁いびりの姑さん並みに鋭い眼光が、ちょっとだけ怖い。
「スープは量足りている? パスタは? キノコのソースは昨晩のが使えるとしても、ブイヨンは新しく鶏手羽先と玉ネギとにんじん煮立てて作らなきゃいけないし。あっ、お店のナプキンは補充しておいた? ディナーセットのチキンサラダだって作り置き10皿じゃすぐ無くなるよ。倉庫からパン粉も持ってこなきゃ。それから…」
「全部終わっていますよ」
忙しくなるのは分かっていたから、準備にぬかりは無かった。
「ふーん。よしよし、佐助くんも使えるようになったよね。バイト始めた当時は、そりゃあもう、ヒドかったもん」
水透はくすくす笑いながら、自分の身長より二十センチ上にある佐助の頭を撫で撫でする仕草をした。偉そうだ。
「誰かさんのスパルタ教育のおかげですよ」
確かに、最初は酷過ぎた。何も知らなかった。お米を洗剤入れて研ぎ、包丁を握れば流血して白菜を真っ赤な染め物にした。皿は何枚割ったものやら……。店の損害も大きかったと思う。よくクビにならなかったものだ。そんな佐助に、水透は一から丁寧に教えてくれた。ずけずけと文句を言いつつも。
傷をつけずに油は落とさず……フライパンの繊細な磨き方を始めとする道具の大切さをしたり顔で説く。軽い性格のようでも、水透の料理に関わる者としての心構えは見習うべきものがあった。おかげで佐助も必死に仕事を覚え、今では仕込みの基礎過程まで任されるようになった。
将来は料理で食べていけたら、と思うまでになった。全部このお店と、そして彼女の影響だ。恩人というには大げさかもしれない。だが、人生の先達として尊敬している。
そして佐助の…好きな女性だ。
「それにしても、どうして遅れたのですか?」
「え? あ、あははは」
「……」
「も?、佐助くん視線が痛いよ。あのね、期末試験が近いじゃない。さすがに何の準備もしないのはマズいと思って図書館でお勉強してたの。そしたら、冷房がキンキンで気持ち良くってね、その、」
「眠ってしまったわけですね」
水透らしくて、怒る気にもなれない。
『きっと前世は冬眠好きな白クマさんだったのよ♪』
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