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月曜日の朝、わたしは中学校の音楽室に来ていた。うちの中学は合唱部とブラスバンドが熱心に活動している。夏休みだというのに練習、毎日やっているそうだ。音楽室が空くのは午前中しかない。眠い目を擦りながら、わたしは職員室で鍵を借り、校舎東塔の2階に向かっていた。
何故来たかと言うと、急にピアノを弾いてみたくなったからだ。3日前、達さんから噂の『呪いの曲』、全国青少年ピアノコンクールの課題曲の楽譜を貰った。これを練習していた人が次々と腱鞘炎になった、いわくつきの代物だ。少し興味がわいたのだった。
引き戸を空けると、閉め切った夏の部屋のむあーとした熱気が体を包む。眼鏡が曇ってしまった。窓を開け、少し涼んだあと、わたしはピアノの前に座った。
思えば久しぶりにピアノに向かうなあ。楽譜を台にセットしてわたしは鍵盤に両手を乗せた。
軽くウオーミングアップをし、わたしは指をほぐした。さあ、いざ本番だ。
……難しいよ、これ。
出だしから12連符の連続。左手はオクターブの和音を叩き続け、わずか1分で悲鳴をあげている。転調も多い。何より強弱をつける余裕が無いほど難易度が高い曲だった。
わたしが下手なだけかな?
ロクに弾けないまま、わたしは楽譜をぱらぱらとめくった。
ん?
6枚目、印象的な構成だった。左手のみの和音、その後アルペジオがずーと続く。クレッシェンドとデクレッシェンドの絶え間ない音の双曲線が奏でられる。それまでは普通のピアノ曲だったのに、不思議な展開を見せ始めた。これなら弾けるな。
わたしは左手で最初の1小節にとりかかった。
5本の指をフルに使った重和音が響く。伸びやかな音がだんだんと切れ切れに、最後にはスタッカートになっていた。カッ、カッと馬のひずめの如き調べが続く。そこから急展開、切ないまでのアルペジオが音楽室に漂う。左手が鍵盤を激しく移動する。
美しい旋律だった。
(なんか…いいよ、この曲)
アルペジオが続く中、頭がぼおーとしてきた。目の前が白みかかって、楽譜ももう読めなくなっていた。
でも…きれいな音だけは遠くに聞こえる。このままずっと弾いていたい。
ずっと、ずっと、ずっと……。
「――ちょっと、あなた大丈夫?」
誰かに肩を揺さぶられた。もう、邪魔しないで。いい気持ちなんだから。
パーン。
頬に衝撃が走った。結構痛かった。わたしはハッとなって平手打ちの主を見上げた。
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