第1章

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「ピアニストになることが千里ちゃんの夢なんだ。でもそれが適わないことは彼女が一番よく解かっているはずだ。でも、いつも明るく振舞うあの娘を見ていると、なんだか切ないよ」  マスターの話を聞いて、わたしたちは押し黙ってしまった。騒いでいたけいちゃんも神妙な面持ちだ。 「おいおい、深刻な顔をするなって。大丈夫。千里ちゃんは本当にピアノが好きなんだ。今じゃただ弾いているだけで、満足なはずさ。一流のミュージシャンになることだけが、音楽ではないんだよ」  そうだけど、片野坂さん、本当は最後まで自分の好きな曲を弾きたいのだろうな。 「……出よっか、きょーこ」  けいちゃんが立ちあがった。さすがに賑やかなけいちゃんは、この重々しい雰囲気に耐えられなくなったのだろう。 「うん、マスター、ご馳走様。また来るからね」 「たまにはケーキでも頼んでくれよ」  タダ飲み娘たちにマスターが不平を洩らした。 「奢ってくれるならね」  けいちゃんはいたずらっぽく笑った。                    3  店を出ると、夏の日差しが容赦なく照りつける。目を細め太陽を見上げるわたしをけいちゃんが手招きした。 「……ねえねえ、あれ見てよ。怪しい奴がいるよ」  横窓から喫茶店内を覗き見ている男。夏なのにトレンチコートを着て、ご丁寧にサングラスまでしている。あからさまに怪しい。  わたしたちの視線に気付いたようで、彼はこちらを見やった。その顔を見てわたしは唖然とした。 「千太郎さん!」  何でこんなところに? 慌ててわたしは駆け寄った。 「杏子ちゃん…・」  突然、知り合いに声をかけられて千太郎さんも驚き顔だ。 「何しているの、こんなところで!」 「え? な、何でもないよ」  何でもないならドモるな。絶対、神己会がらみだ。 「きょーこ、この人は?」  けいちゃんが近づいて来た。睨みつけるように千太郎さんをなめつける。 「あ、ええと、こちら従兄の里見千太郎さん。お金が無いもんだから喫茶店を羨ましそうに見ていたんだって」 「そ、そうなんだ。こんにちは深山さん」  けいちゃんは怪訝そうな顔をした。 「……何でわたしの名前を知っているんですか? 初対面なのに」 「あ、え、そ、それはわたしがよくけいちゃんの噂をしているから。すごく素敵な友達がいるんだよって」  うかつな千太郎さんのフォローをわたしはした。
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