第1章 業苦の鬼

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 気付いた康則が様子を覗うと、俯いた横顔に際立つ美しい唇が微かに震えている。  やがて意を決して顔を上げた万由里が、か細い声で問いかけた。 「この度のお務めは……高槻家、頼子さまがお相手と伺いました」  途端、大粒の涙が頬を流れ落ちた。 「誰からそれを?」 「……将隆さまが、教えてくださいました」  他者への気遣いなど、将隆には無用だ。  康則の手当を命じたのは心配してではなく、次の務めに支障がないか確かめるためだろう。  しかし、高槻頼子の件を自ら万由里に伝えるとは、無神経にも程がある。  鈴城の家系は代々、特殊な家柄である鬼龍家の執務を取り仕切ってきた。従って万由里は、かつて親交が深かった高槻家の頼子をよく知っている。  高槻家、初夏の園遊会。真紅のツツジが咲き誇る池の畔で、姉妹のように寄り添い談笑する二人を羨ましく思った。  気高く美しい姉姫と純真で可憐な妹姫の姿に、誰もが口元をほころばせた。  だが今夜、その池は頼子の血で彩られる事になったのだ……。  戦国の時代より鬼龍家は、政財界名家からの依頼を受けて「渡辺綱」が「酒呑童子」を斬ったと謂われがある〈鬼斬り〉を操り、〈業苦の鬼〉を斬ってきた。  遠慮はいらない、情けを掛けるなと将隆は言う。  一族の〈業苦〉を背負い鬼と化した者は、仲?閧?増やし人間の生き肝を喰らう化け物でしかないからだ。 〈業苦〉の証である角が現れても、完全な鬼となる前に〈絶戒〉で角を断てば死に至らす事無く人に戻れるが、ただ生きているだけの廃人となる。  そのため、鬼の出現を忌み嫌い、廃人を抱える事を望まない一族からは死を望まれるのだった。  実の娘の始末を頼み、頼子の弟である十二歳の長男だけを逃して妻と共に死を選んだ高槻家当主は、何を守り何を得たのだろう。  考えてみても仕方ないが、目の前で一人の少女が悲しんでいる事は確かだった。 「えっと……将隆さまは頼子様さまの件で辛い思いをされたから、ご機嫌が悪かったんですよ。だから万由里さんと頼子さまが親しかったことも忘れてつい、いつも通りの報告を……」  万由里の涙に戸惑い、慰めにもならない嘘が口を突いた。 「康則さまは、お優しいのですね……。わかっています、将隆さまの御務めのことは。でも時々、恐ろしくなるんです。いつか将隆さまが、将隆さまではなくなってしまう……そんな気がするんです」
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