第1章 業苦の鬼

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「心配いりませんよ、将隆さまは変わりません」  康則は、万由里よりも自分の為に、強い口調で言い切った。応じた万由里の、無理に作った笑顔が痛い。 「明日の朝、新しい制服を持ってまいります」  破れた制服と救急箱を抱え、万由里は一礼してから部屋を出て行った。  その小さな背中が消えた途端、康則は戦いよりも緊張する時間から解放されたのだった。  〔2〕  鬼龍の屋敷から自転車で二十分ほどの所に、将隆と康則が通う〈私立叢雲学園横浜校〉があった。  十九世紀末の有名なオランダ人建築家が建てた美麗な学園は、東京湾を望む自然豊かな高台の景観に荘厳な存在感を与えている。  高槻家の件から一夜明けた月曜日、康則は学園へと続く私道に自転車を走らせていた。  新緑のケヤキ並木は朝日を受け、コンクリート上に煌めく模様を映し出す。ロードワーク中のラクロス部女子達が、明るい笑顔で通り過ぎていった。  後方に車の気配を感じ振り向くと、黒塗りのセダンが康則の自転車を追い抜いた。  後部座席で目を閉じ、眠っているように見える端正な横顔。線が細く、同い年にしては幼くも見える将隆の、いったいどこに揺るぎない気概と強さと冷酷さが潜んでいるのか。  選ばれた名家の子女が通うこの学園でも、鬼龍家は別格だった。  生徒ばかりでなく、教師までも将隆に敬称を付ける。成績は常に首位、全校生徒に義務付けられた部活動では乗馬部と弓道部に所属し相応の実力を持っていた。  しかし部としての活動に参加することはなく、競技会に出ることもない。  中等部・高等部あわせて女子生徒憧れの的ながら、透明で冷たい瞳は他者を排斥する光を宿し、近付く者を許さなかった。  昔は、違った。  家柄の違いから将隆は〈私立叢雲学園横浜校・中等部〉に入り、康則は公立の中学校に入ったが、小学校時代は房総にある縁者の屋敷で共に生活し、学園本校の小等部に通っていた。  互いの名を呼び捨て、大人に隠れて海辺の岩場に秘密基地を作り、厳しい剣の稽古に励み、時には行き過ぎた悪戯を諌められた。  いまから思うと、一番楽しい時間だった……。  中学校の卒業間際、鎧塚では本家筋から一番遠い康則に〈露払い〉の達示があった。 〈露払い〉は大事な役目だ。鬼龍家では若い当主に年長者を付けることが定石となっている。康則のように若輩で、家柄が下位に当たる者が任命される事など本来なら有り得ない。
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