第1章 業苦の鬼

8/29
前へ
/139ページ
次へ
 イビルアイの少年は唇の端を上げ、先ほどまでの冷笑とは違う、残酷な愉悦の笑みを浮かべた。  風が止まり、張り詰めた空気に康則の体毛が逆立つ。  敵の邪気を、取り込みすぎたか?   いや、まだ早すぎる……!   康則は、将隆の僅かな変化も見逃すまいと神経を張り詰めた。万が一、危険な兆しが現れた場合、迅速に行動しなくてはならない。  通信機へと伸ばした指が、硬く強ばった。  頼子の重心が僅かに移動した刹那、将隆が軽快なステップで石畳を跳んだ。 〈鬼斬り〉の残光が夜空に華麗な扇状を描き、激震が空間を寸断する。  同時に、構えた薙刀ごと頼子の四肢が音もなく、斬り離された。  分断された頭部が、腕が、上体が、弧を描き宙に舞う。そして池の水面に、激しい水しぶきが立て続けに上がった。  残された両足は打ち掛けの裾を引きずり、数歩前に出て崩れ落ちた。  苔の絨毯に、出来た血溜まり。その中に剥き出しの白い足が、浮きあがる。 〈業苦〉から解き放たれた人の、断片。  池に沈んだ頼子の頭部もまた、穏やかな表情を取り戻しただろうか……。  頼子に取り込まれ鬼となった者達も、これで救われたはずだ。  亡骸を確かめることなく将隆は、〈鬼斬り〉を大きく一振りした。一点の曇りもない刀身を濡らす夜露が、煌めきながら舞い散った。  鞘に収めると、再び澄んだ鈴の音が鳴る。  ゆっくりと顔を上げた将隆の瞳には、既に魔性の輝きはなかった。  強い志と自信に満ちた、透徹なる瞳。普段通りの姿に、康則は肩の力を抜く。 「心配性だな、康則は。俺はそう簡単に、堕ちないよ」 「……はい」 「いざという時は、おまえが引導を渡してくれるんだろ? だから俺は、安心して戦える。ただ、その堅苦しい言葉使いは止めてくれ」 「いえ、本日より将隆さまが鬼龍家当主ですから」 「頭硬くて、融通が利かないヤツだな」  呆れ顔で、将隆が笑う。  その笑顔の中で将隆が、自らの運命を嘲笑していると解るから、康則の胸は疼くのだ。 〈絶戒〉を執行する毎に、〈鬼斬り〉は〈業苦の鬼〉の業を取り込み使い手を侵していく。戦いのあと浄化は行うが、徐々に精神力は弱り邪悪な力に抗えなくなる。  許容量を超え気力が負けたとき、最強の狩り手は最強の鬼へと変わる……。 〈露払い〉である鎧塚の一族だけが、〈鬼斬り〉の使い手を封じる術を持っていた。
/139ページ

最初のコメントを投稿しよう!

114人が本棚に入れています
本棚に追加