気づきはじめた男

3/5
99人が本棚に入れています
本棚に追加
/5ページ
でも、最近は思ってしまう。 由宇と出逢わなければよかったかもしれない、と。 これが後悔なのか、ただの想像なのかはわからない。 由宇と出逢わなければ、俺はどんな人生を送っていたのか。想像してみるのも少し面白いと思っただけだ。 「次長…間宮次長!!」 「あ?」 「とっくにお昼休み、終わってますけど」 「今、何時?」 秘書に質問しておきながら、俺の視線はしっかりと、入口横の壁に掛けられた時計に向けられていた。 「あー…くそ。寝る予定だったのに…」 「二時から柴田様とお茶のお約束です。大丈夫ですか?」 「わかってる。二十分後に車回しといてくれ。準備して行くよ」 「はい」 バタン、と部次長室の扉が閉まり、秘書のヒール音が遠ざかって行ったのを確認し、ジャケットの胸ポケットから私用のスマホを取り出す。 履歴が由宇で埋め尽くされている。発信はほぼ俺から。由宇から俺を求めてくることは皆無に等しい。 「確実に来る未来…か」 “どうせあたしの手の届かないところに行っちゃうんだから” あの日、由宇はどんな気持ちでそう言ったのだろう。 由宇の表情を見ることはなかった。俺の腕をすり抜けて、玄関へと向かい無言で部屋を後にした。俺も、その後ろ姿をただ見送るだけだった。 でも、あいつの背中がどこか寂しそうに見えたのは、勘違いなんかじゃない。自惚れじゃなければ、由宇はきっと。 『俺がいないと寂しい?』 酔ってなんかいない。今日約束している柴田さんは、うちの顧客の中でも特Aクラス。粗相は絶対できない相手だ。 それでも確かめたかった。自惚れだというならそれでいい。足枷はなくなる。俺は、眞由美さんと結婚する。 デスクの上に置かれたスマホはすぐに震えた。そろそろ町田が表に車を回してくる。 「あいつ、仕事してんのかよ」 それでも緩んだ表情筋は戻らない。保存したいがイマイチこの機械の扱い方がわからない。 今度、由宇に訊こう。
/5ページ

最初のコメントを投稿しよう!