第四幕 捨て猫の元の飼い主

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第四幕 捨て猫の元の飼い主

 ソレはU078と呼ばれていた。  U078は、早い段階で自分が何かの実験体であることを悟った。  他の実験体が、「失敗作」と呼ばれ、ゴミのように捨てられていくのを見ながら、いつか自分も消えるのではないかと思っていた。  だから、U078は逃げ出した。  そしてU078は、一人の人間とであった。  その人は、化け物であるU078に優しくしてくれた。  U078という実験体ナンバーではなく、名前で呼んでくれた。  このまま、その人と生きていけるのではないか。そう思っていた。  そんな時、少女があらわれた。  マオが隆二の家に居座りバタバタとした、それでもおおむね平和な日々を過ごして数ヶ月ほど経った。  マオの食事問題も、夜間に寝ている人を片っ端からマオが探したり、たまに菊の時のようなことをしたりしながら、死者を出すこともなく、穏便に済ませていた。新たな死者が出なくなったことから、ミイラ事件についての報道は減っていて、今では週刊誌ぐらいしか報じていない。  行きつけだったコンビニは、菊の件から出入り出来なくなったが、幸いにして別の場所に新しくコンビニが出来た。そこは家から二分と近い。  今日もサンドイッチとコーヒーを買い、コンビニから戻るところだった。  マオも誘ったのだが、この時間にやっている特撮ヒロインの再放送が気に入っているらしく、断られた。誘わなかったら誘わなかったで怒るくせに、誘っても無視するときたもんだ。 『疑心暗鬼ミチコ見なきゃいけないからダメー!』 「……なんだよ、それ」 『疑心暗鬼ミチコ知らないの? 普段は普通の女子高生でー、変身すると着物姿になるのー。ちょー強いんだよ! 電信柱の影に落ちてるスーパーの袋ですら、敵だと思ってはっちゃめちゃの、ぼっこぼこの、びっりびりにしちゃうんだからぁ!』 「あー、疑心暗鬼?」 『あなた鬼ね! 退治してやる! って言って倒すの。まあ大体いつも、ミチコの本当の敵じゃなくて、ただの悪い人なんだけど』 「ただの悪い人って……」 『でも悪い人は悪い人だから周りからは感謝されるの! でね!』  そのあと熱心にマオは疑心暗鬼ミチコとやらについて語ってくれたが、正直、なにが面白いのはか隆二にはわからなかった。  それにしても、その特撮ヒロインは今から二十年ぐらい前に放送してたもののはずだ。もしも、生前から好きだったのだとしたら、マオは今より少し前の人間なのかもしれない。そんなことも考えている。  マオ本人は、自身の出生や死因などに興味はなさそうだが、隆二としてはマオの生前の素性をいつかは調べてあげたいと思っている。そうすれば、無事に成仏できるだろう。幽霊はきっと、成仏した方がいい。仮にマオが成仏するつもりがなくても、出来ないのとしないのとでは天と地ほどの差がある。可能性はあった方がいい。  ただ、それを積極的に行わないのは生来の怠け者であることと、それからほんの少し、すこぅしだけもうちょっとこのままでもいいかなと思うからだ。  そんなことを思いながら歩いていると、アパートの前に見慣れた人物を見つけた。人物というか、服を。というか、色を。  面倒くさいやつが来た。そう思いながら近づく。  向こうも隆二に気づいたらしく、顔をあげると軽く頭を下げた。 「よう、相変わらず、目立つなー、祓い屋の嬢ちゃん」  声をかけると、 「派遣執行官です。何度言えばわかるのですか?」  冷たく言われた。金髪碧眼の美少女が、にこりともしないまま。 「ところで、わたし、目立ちますか?」 「ああ」  頷く。  真っ白い肌、すっと通った鼻筋、光を浴びて光る金色の長い髪の毛。長い手足に、高めの腰の位置。  どこからどうみても完全なる美少女。それでなくても、道行く人が振り返って見る程の、美貌ではあると思う。  ただ、欠点はその壊滅的な服装センス。 「そうですか。さっきから道行く人にちらちら見られている気はしたのですが。そんなに外国人が珍しいんですかね。わたし、国籍は日本なんですが」  ひょうひょうとそう言う。  お前がそんな赤い服着ているからだよ、と心の中でつっこんだ。その美貌も、日本人離れした体型も、服装の前にはかすんで見える。  このイギリス人を祖父の持つ、クォータの少女は、何故かいつも赤い服を着ていた。赤いジャケットに、かろうじてオレンジ色っぽいスカート。赤いブーツ、赤いベレー帽。  隆二はひそかに、この格好を鼓笛隊のようだと思っている。 「で、嬢ちゃん」 「エミリです。せめて名前で呼んでください」 「はいはい。で、どうした? 今度は何を逃がした? 人面犬か? のっぺらぼうか? テケテケか?」 「いつも何かを逃がすような言い方、しないで頂けますか?」  少しだけ、不愉快そうに少女が言う。 「じゃあ、違う用事なのか?」 「いえ、そうですけど」  少しだけ不服そうに、少女が答えた。  この些か怪しげな少女エミリは、これまた怪しげな研究所の人間だった。オカルト現象を研究する研究所。縁あって、何度かエミリの仕事を手助けしている。  例えば、逃げた口裂け女を探したり、人面犬を探したり。  今ある貯金額のほとんどは、この研究所の仕事を手助けしたことによって得たものだった。  都市伝説の幾つかは、この研究所が作り出したものだ。逃げ出したり実験のために外に放したり、理由は様々だけれども。  そしてエミリは、本人曰く、研究所の派遣執行官。「要は外回りの祓い屋だろ?」と以前言ったら、酷く怒られた。無駄なプライドがそこにはあるらしい。 「まあ、こんな立ち話もなんだし」  その赤い格好、すごく目立つし、 「古いけど、うちで話そうぜ」  言って、エミリの返事は待たずに階段をあがる。古い二階建てのアパート。 「本当に古いですね」  ついてきたエミリが容赦なく言った。 「遠慮とかないのな、嬢ちゃん」 「エミリです」 「まあ、なかなかに住めば快適だぞ。駅からも近くて、2DKって部屋は広いのに家賃安いし」 「訳あり物件なんですか?」 「……そこですぐに訳あり物件に行くのがすごいな。そのとおりだけど。前の住人が自殺したとかなんとか、まあ、幽霊が出るとか言われてたんだけど、出なかったし」 「まあ、出ても神山さんなら困りませんよね」 「あー、まあ」  今は本当に幽霊が住んでるしなー、とも思い、苦笑する。  意図的に居候させている以上、家賃の値下げ交渉には使えないだろう。  二階に上がる。二階の一番奥が、隆二の部屋だ。  廊下を歩く。 「コンビニに行っていたんですか?」  隆二が持っているビニール袋を指差し、エミリが尋ねる。 「ああ」 「珍しいですね、神山さんがサンドイッチなんて買うなんて。コーヒーはともかくとして。正直、初めて見ました」 「まあ、色々あって」  肩をすくめる。 「ところで、せっかく遠路はるばる嬢ちゃんが来たところ悪いが、今回は何も聞いてないぞ? そういう怪しい噂」  部屋の前で、ポケットから鍵を取り出しながら言う。 「まあ、俺のコミュニティなんてあってないようなものだが」  なにせ、ニートのひきこもりだし。 「いえ、ここらにいるはずなんです。最近、消息不明ですが。それでも、被害者というか、それっぽい痕跡はこの街で見つけましたし」  鍵穴に鍵をさす。 「それに、今回、知覚は難しいものですし」 「知覚が難しい?」  鍵を開ける。 「ええ、幽霊なんです」  ドアノブに手をかけて、まわし、ドアを開け、 「ミイラ事件、ご存知ですよね」  開けかけたドアを、慌てて閉めた。  ばたんっ、と派手な音がした。 「神山さん?」  エミリの不思議そうな声。  一つ、ゆっくりと息を吐く。落ち着け。まだ、大丈夫だ。 「悪い。部屋、すっげーちからってるんだった。模様替えしようと思って、だからちょっと外で話そう?」  赤い少女と外で話すのはさぞかし目立つだろうが、今回は気にしていられない。 「わたしは構いませんが?」 「俺が構うの」  だからほら、と隆二がエミリを来た道を戻るように促したところで、 『隆二ー? 帰って来たのー?』  のんびりしたマオの声がする。 「今の……?」  エミリがドアに視線を向ける。 『疑心暗鬼ミチコ終わっちゃったのー、つまんなーい』  マオの暢気な声。  出てくるなっ。  心の中で叫ぶ。  祈りは通じず、マオがドアから顔を覗かせる。すぽんっとドアから首が生える。  マオは見知らぬ赤い少女を見つめ首を傾げ、エミリはドアの生首を見つめ、 「マオ逃げろっ!」 「G016!」  同時に叫んだ。  勢いに呑まれてマオが顔をひっこめる。  エミリが隆二を突き飛ばす様にしてドアをあけ、その背中を隆二が蹴飛ばした。エミリが備え付けの靴箱に激突する。 「悪いっ」  一応謝っておく。 「っ」  エミリはうめきながらも鞄から拳銃をとりだし、 「うわ、何物騒なもの持ってる!?」  慌てて隆二はそれを叩き落とすと、部屋の隅に蹴飛ばした。  駆け出そうとしたエミリを出来るだけ死なないようには手加減して突き飛ばし、部屋の真ん中でおろおろしているマオのもとに駆け寄る。  ダイニングのテーブルを蹴飛ばすと、玄関を塞いだ。 「マオ!」  斬りつけるように名前を呼ぶと、立ったままの彼女の右手をつかんで走り出す。 『えっ?』  マオの声を無視して、ベランダへの扉をあける。  そのまま、跳躍。 『隆二っ、ここ二階っ!!』  マオの悲鳴だか、叫びだかを聞きながら、隣の少し低い一軒家の屋根に着地。  そのまま、屋根伝いに走り出す。 「待ちなさいっ! G016!」  背後でエミリが叫んだ。 「とりあえず、ここなら、平気だろ」  ラブホテルの屋上。派手な看板と看板の影に隠れて、隆二が言った。  家からはだいぶ、離れたところに来ている。 「ったく、いつだって急なんだよ、あの嬢ちゃんは。人の家に来るならアポぐらいいれろっつーの」  舌打ちする。 『あの……』  マオがおどおどと、小さく声をかけてくる。 「ん、どうした?」  振り返り、出来るだけ優しく見えるように微笑む。 『……手』 「あ、悪い」  掴んでいた手を離す。  マオは掴まれていた右手首を胸の辺りで左手で抱え込んだ。  その手をしばらく見つめ、 『隆二、あの……』  そこまで言って、マオは足元の辺りを探るように見る。まるで、足元に答えが書いてあるかのように。  それを見て、隆二は、 「U078」  先に言葉を切り出した。 『え?』  マオが顔をあげる。 「それが俺の実験体ナンバーだ」  言って笑った。  神山隆二がU078という実験体ナンバーで呼ばれるさらに前、彼はごくごく普通の少年だった。  彼は貧しい家の三男坊として生まれた。  毎日遅くまで仕事をする父親の背中と、それを手伝う上の兄。  母親の後をついて回り、家事の手伝いをする妹。  余所で働き始めた姉と下の兄。  お腹がすいたと泣く二人の小さな弟。  生まれた時から体が弱く、病気で寝込む彼を、困惑と憎悪と心配をごちゃまぜにした顔で見る母親。  何も手伝えない彼を、心配しながらも、邪魔者を見るような目で見る兄弟。  そんな時、村に流れた噂。  ある金持ちが、子どもを欲しがっていると。謝礼は高額。ただ、それは、ある種の人体実験だと。  その話に乗ることにしたのは、親が言い出したのが先か、彼自身が言い出したのが先かは覚えていない。  覚えているのは、彼を連れにきた数人の男。  覚悟はしていたものの、いざとなると怖くなって、泣き叫ぶ自分から視線を逸らし、さっさと家の中に入ってしまった父親。  一言だけ呟いて父親の後を追った母親。  月明かりの下、遠ざかっていく家。  たどり着いたのは、埃っぽい部屋。  そこから先は覚えていない。  眠らされ、次に目が覚めた時には全てが終わっていた。  U078の実験は成功した。人体兵器。死なない兵隊。来たる戦争に向けて、作り出された化け物。  家族を失って彼が手に入れたのは永遠の命と不死身の体だった。そして彼は、人間であることも失った。 「まあ、そんなわけだ」  足を投げ出して座り、シニカルに笑う。 「だから、戸籍上は神山隆二なんて人間、本当はいないんだ」 『だって、そんな、ならどうしてっ』 「どうしてここにいるかって?」  聞かれてマオは頷いた。 「逃げ出したからだよ」  マオと同じように。続けるとマオは痛そうな顔をした。  逃げようと言ったのはリーダー格の少年だった。たった四人の成功した実験体。  自分と他の一人は賛成し、残りの一人は最後まで反対していた。見つかったら何をされるかわからないんだぞ!! と。  それでも結局逃げ出したのは、このまま研究所にいれば、未来などないことがわかっていたからに他ならない。  逃げて離ればなれになった。  逃げて逃げて逃げて逃げて。  ぼろぼろになった彼を助けたのは、一人の人間だった。どこか影のある、和服の似合う、猫が大好きな女の子だった。  彼女は彼が化け物だと知っても変わらずに側にいてくれた。  彼女とならば普通の人として生きて行ける、そう思った。  そんなとき、少女は現れた。 「嬢ちゃんのばーさんだよ」 『おばあさん?』 「イヤー、しかし、久しぶりに嬢ちゃんにあったけど、ますます似て来たよなー本当」  嫌な部分までそっくりだ、とため息をついた。  哀しくなるぐらいの無表情で自分の前に現れたその人の顔は今でも思い出せる。  死神は無表情を崩さずに宣告した。一字一句間違えずに、その宣告を覚えている。多くが消えていく記憶の中で、それは鮮明に脳裏に焼き付いている。 「私たちはもう貴方達を兵器としては必要とはしていません。そこで選んでいただきたい。ここで、証拠隠滅のためにおとなしく消え去るか、または必要に応じて我々の力になるかを」  死刑宣告を暗唱し、そこでマオに視線を合わせる。 「勝手な話だと思わないか?」  マオはぐっと唇をかみしめていた。泣きそうな顔。  その表情があまりに痛々しくて、見るのに耐えかねて、隆二は思わず言っていた。 「過去の話。あまり気にするな」  そして、自分の隣の床を叩く。  マオは大人しく隣に座った。  手をあげる。マオの頭を撫でる。ゴム手袋を何枚か重ねているかのようだったけれども、しっかり触れた。  さらさらと、細い髪の毛が流れる。 『どうして……』  マオが目を見開く。こぼれおちそうになる緑色の瞳をみて、少し微笑んだ。 「さあ? 俺も理屈はわからないが。霊体にも触ることが出来るんだ。副作用、みたいなものかな。実験の」  肩を竦め、それでもまたマオの頭を撫でる。 「約束だったもんな」  微笑んで見せる。  マオはまたさらに泣きそうな顔をした。 『だから、嫌がってたの……? あたしが触るの』 「ああ。人間じゃないことが、ばれたら困ると思ってな」  苦笑する。  そのまま腕をおろす。  今度は、隆二の右手におずおずとマオが手を伸ばした。隆二は避けなかった。  そっと触れる。そのまま手を繋ぐ。  繋ぐことが出来た手を見て、マオは一瞬くしゃりと顔を歪めた。泣きそうとも、笑い出しそうともとれる顔。 『あのね、あたしね』  俯いて、その手を見るようにしながら、マオが言葉を吐き出す。 「うん」  隆二は優しく微笑みながら頷いた。 『実験体ナンバーG016』 「うん」 『人工的に造られた幽霊』 「うん」 『……今まで、黙ってて、ごめんなさい』  俯いたマオの頭を、空いている左手で撫でた。 「お互いさまだろ」  隆二だって黙っていたのだから。 『……でもあたし、黙ってただけじゃなくて、嘘、ついてたから』  下を向いたまま、ぼそぼそと呟く。 「じゃあ、やっぱり記憶喪失、っていうのは」 『うん、嘘……。そうやって言えば、詳しいこと、聞いて来ないかなって思って』 「そっか」 『本当は、ちゃんと覚えてる。変な水槽みたいなのの中で、目を覚ましたときのことも。外に出る実験とかっていうときに、逃げ出したことも』 「うん」 『本当のあたしは、まだ、作られてちょっとしか経ってないの』  だから、妙に偏った知識や子どもっぽい仕草があったのか、と思う。  人工的に無理矢理詰め込まれた知識ならば偏りも出るし、仕草も子どもっぽくなることもあるだろう。 『ごめんなさい、言わなくて』 「いいってば」  また謝り出したマオの額を軽く小突く。 「黙っていたかったマオの気持ち、良くわかるから。……誰かにこういうこと話すのってためらうよな、嫌われそうで」  マオは泣きそうな顔で一つ頷いた。 『それなのに……、ありがとう。先に話してくれて』 「どういたしまして。まぁ、年上の威厳というものを見せようと思ってな」  ふざけていうと、マオは少しだけ微笑んだ。 「さて。嬢ちゃんがこれからどうするか。さっぱり検討がつかないが」  無表情で色々と恐ろしいことをやる少女だ。 「でもまあ、とりあえずここなら大丈夫だろう」 『……うん』 「走り回って疲れた、ちょっと休む」  一度大きく伸びをすると、看板にもたれて隆二は目を閉じた。  マオはその横顔をしばらく見ていたが、やがて隆二の肩に頭を乗せると、同じように目を閉じた。  つないだ手はそのままに。
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