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振り返ると、まだ組み立てていない段ボールを抱えて、鬼のような形相で彼女が仁王立ちしていた。
「うわ、ちょ……ヤメテクダサイ!」
ふざけんな、やめろ馬鹿野郎。──そう怒鳴りたかったが、この時ばかりはチップに抑制されていてよかったのかもしれない。
「ひどい! 私困ってるのに! 普通隣同士は助け合うものでしょ! 見捨てるなんてあり得ないよ!」
段ボールを投げつけてくるのを避けながら、頭の片隅で冷静に考える。
発狂だ。──そろそろ来る頃だな、と。
「あんたみたいな冷酷な人間死んじゃえばいい! 死ね、……きゃあ!」
ダークカラーのスーツを着た男が二人、非常階段から駆け昇ってきて暴れる彼女を両脇から取り押さえた。
「何するの、離して! こいつが悪いんです! 困ってる人を見捨てたんです!」
「田沼。もういいから、君は作業に戻りなさい」
「あ、はい!」
エレベーターは既に着いていた。早くしなければ、他の住人に使われてしまう。
急いで乗り込むとき、彼女が男達によって部屋に連れ戻されるのが見えた。彼女はまだ何か叫んでいた。エレベーターのなかで、予感通り豹変したな、とぼんやり思った。
『あと三分だ! 急げ!』
エレベーターが着くと、終了間近のアナウンスが響いた。力一杯ハンドリフトを引いて駐輪スペースまで運ぶ。
『田沼治良! 合格だ! 君には明日から社員寮のある仕事を紹介しよう!』
「は……ははは……」
脱力して、膝が笑う。ハンドリフトにしがみついて、その場にしゃがみこんだ。
これで、普通の世界に戻れる。
作業時間終了のチャイムが福音に聞こえた。
* * *
翌日、荷物をまとめて退去しようとすると、インターホンが鳴った。もう出ていくだけの、この世界は怖くない。晴々とドアを開けた。
「あ……あの、昨日はごめんなさい」
彼女だった。段ボールを投げつけた時とはうって変わって、しおらしくなっている。
「……もういいです。俺、ここを出ますし」
「あ、おめでとうございます!……私も、仕事が決まったんです」
あの暴挙の後に仕事が? そう考えて、ハッとする。ダークカラーのスーツを着た男が来る時は、必ず連れて行かれる──。
「……その、仕事って」
訊くと、彼女は弱々しく笑った。
「病院で新薬を飲むお仕事です。……最後に、これ」
そして、タッパーを差し出した。
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