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「これ……?」
「肉じゃがなんです。あんなことした相手からじゃ気持ち悪いですよね……すみません。でも、お礼とお詫びに」
「はあ……」
「よかったら食べてください。──じゃあ、お元気で!」
半ば押し付けるようにタッパーを手渡し、隣室へと駆け戻ってゆく。
のろのろとタッパーを見下ろす。まだ温かい。緩慢と蓋を開けてじゃがいもをつまんだ。
美味しかった。強火で炒めてから軽く煮る、実家で母が作ってくれていた肉じゃがとそっくりだった。
* * *
「田沼さん、特別病棟の清掃もお願い」
「はい!」
……あれから、大学病院の清掃員として働くようになって、もう三か月になった。最初は初めての仕事に戸惑い、色々と注意も受けたけれど、今は一人で仕事を任されるようになった。
「特別病棟……五階の奥だな」
掃除道具を運びながら道順を思い出す。そこは、初日に一度案内されたきりだった。どんな患者さんがいるのか、想像もつかないが、邪魔にならないよう、失礼にならないよう……。
「……え?」
病室のドア脇のネームプレートに引っ掛かった。──『有原早矢香』。有原。
「確か、あの人も有原って……」
「……そこに誰かいるの?」
独り言が室内の患者さんに聞かれたらしい。慌てて「申し訳ありません、清掃の者です、失礼いたしました」と謝った。
「……ねえ、入ってきて……」
「え、でも……」
「……お願い」
その声は弱々しいのに不思議な力があった。躊躇い、ややあって、そろそろとドアを開ける。
「……やっぱり、有原さんだったんですね」
「……やっぱり、田沼さんだった。ふふ……懐かしい声が聞こえたから……会いたくて……」
彼女はテープでベッドに縛りつけられ、病的に痩せ細っていた。
「……ねえ、離して……お願い……」
「俺はただの清掃員です。そんな権限はありません……すみません」
「離して……体が動かせなくて痛いの……離して……ひどいよ、田沼さん……また私を見捨てるの……」
ぞっとした。思わず後ずさり、相手が動けないのをいいことに何も言えず逃げ出した。
「ひどいよ……助けて、もう嫌っ……」
その声が、呪詛のように耳にこびりついた。
……そういえば、俺と彼女が出た後のアパートはどうなっているだろう。
今日は金曜日だ。また、あの地獄は繰り広げられるのか?
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