第一章『昭和の三鷹で、ぷつりと切った灯のゆらめき』

2/10
30人が本棚に入れています
本棚に追加
/41ページ
俺にとっての生きることとは、もがくことだった。 幼いころから人の顔色ばかり伺って生きてきた。 人として生まれたくせに、気付くと道化になっていたのだ。 馬鹿みたいなことをして、誰かを笑わせて「お前は本当に面白い子だねえ」と言われていれば、忌み嫌われることはないと知ってしまったから。 大人になってからも下手くそな笑いと、吐き気がするジョークを振りまいていた。 そうして気づくと、自分の心は綻びだらけになり、自分の人生は恥で塗りつぶされていました。 生きることが辛い。 この先、生きていったら自分は、人ではなく、不思議に息をする人形、はたまた肉塊になってしまうのでは無いかと恐ろしい。 綻びの無い人間は「死ぬことは恐ろしい」などと言いますが、俺は「生きることこそが恐ろしい」のです。 「あなた」と待っていてくれる妻がいます。 「おとーさん」と慕ってくれるかわいい子供がいます。 「愛している」と口付けしてくれる愛妾がいます。 「この人がお父さんよ」と促されて、ようやく目を合わせてくれる妾の子供がいます。 「先生!先生」と俺の才能を認めてくれる仕事仲間がいます、読者もいます。 きっと満たされているんでしょう。幸福な人間に括られるんでしょう。 けれど生きていたくはないのです。 だから「死にたい」という、歪んでいるものの、とても純な、この感情を漏らしてきました。 ある人は同調してくれました。 一緒に死ぬ約束をしましたが彼女だけが死にました。 妻は「何を冗談を」と嘲笑います。 編集者は「先生が亡くなったら読者が悲しみます」と作り笑いをします。 俺は、求めていました。砂漠で喉を乾かしたかのように。 一緒に死んでくれる人がほしいです、けれどどちらかだけが死ぬのは御免です。 死ぬのならばいっしょに出なければならないのです。 手さぐりで、傷だらけになってでもいいから、人をかき分けて探しました。 死にたいという願いを蔑しない人を。 綻びだらけの心臓をそっと抱きしめてくれる人を。 ――はじめまして、先生。 友人の紹介で、うどん屋で知り合った彼女を一目見た瞬間、鞘を失った剣がようやく自分の居場所に収まれた時のように、安心しました。 彼女は俺と似た目をしていたからです。 ――山崎富栄と申します。
/41ページ

最初のコメントを投稿しよう!