第一章『昭和の三鷹で、ぷつりと切った灯のゆらめき』

4/10
30人が本棚に入れています
本棚に追加
/41ページ
家には妻と子供がいる、けれど帰らない。 愛妾と子供がいる、けれど大して会わない。 仕事場に籠って筆をとり、富栄に身の回りにことをさせ、愛と死を囁く…そんな生活を、誰かが「お前は酷い男だな」と軽蔑する声が聞こえました、今はこの部屋に俺しかいないというのに。 幻聴だろうか?それでもいい。存在しているか分からない霞のような言葉に対して「どうしてだい」?と返してやると、 『お前はあの子を調教してるも同然だ。お前は一緒に死ぬ女が欲しい、でも子供がいる奥さんや妾の女では一緒には死んでくれない。だからあの子を、自分と一緒に死んでくれる女に仕立て上げようとしているんだ?そうだろ。違うか?』 そんな痛い言葉が頬をかすめました。でも不思議と血は出ていません。 だってその言葉の存在有無を抜きにしてみても、それは嘘だからです。 確かに共に死んでくれる存在が自分には必要でした。 この、生きづらい世の中から逃げ出す切符になってくれる女性を欲していました。 富栄はきっとそんな女性だと思いました。だから「死ぬ気で恋愛しないか」と誘いました。 その後に負があって今の関係があるのならば、自分の思うがままの調教をしていると捉えられても構わないでしょう。 しかし彼女は確かに言ったのです。「恋愛をするのならば死ぬ気でしたい」と。 だから二人の間にあるのは、どちらかが正で、どちらかが負の関係ではないのです。 どちらにも同じ分だけ正があって、負もある対等な関係です。 その証拠に、一枚の煎餅布団で眠るときに、体をくっつけあうと同じ規則の心臓の音が聞こえてきて、互いにとても安心します。 愛しているという言葉をかけると、愛しているという言葉が返ってきます。一緒に死にたくもなります。 「一緒に死のう」 だから、つい吐息と共にそんな言葉が漏れます。 雨だって人間の意志とは反して降ります。 それと同じことで、俺の死にたいという願いと、この世界への恐怖は、もう堪える事も出来ないくらい、抗うことが不可能なくらい膨れていたので、弾けます。 そして組み敷かれ、眼下にいる富栄に降り注がれました。 頬や額に飛び散った、死という俺の欲望を人差し指の腹で撫でながら、富栄は怒ることも悲しむこともせず、小さく口元をゆるめました。 けれど肯定も否定もしませんでした。それを良いことに、暇さえあれば「死のう」と口にしました。
/41ページ

最初のコメントを投稿しよう!