1.人魚姫の夢物語

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失うものは無いけれど、得るものも無い。 何かが残るとすれば、ただ彼に恋をしたという思い出ぐらいか。 たったそれだけを自分の片隅に置いて薄れていくのを待つ。 きっとそれを一生続けていくのだろう。 もしかすると相手は何度か変わって、彼の事はどんどん薄まっていく。 ただのクラスメイトと、人知れない片思いの相手。 どちらもただ見えなくなってゆくだけなのだ。 これから先の事を考えると、たったの3年間同じ場所で過ごした相手。 これまで生きてきた時間よりも短い。 そんなの本当に、すぐだ。 ならば少し、ほんのわずかな間でも長く記憶に留まってくれればいい。 俺にも彼にも。 だから『好きです』と、伝えてみるかと思った。 ただし手紙で。 手書きじゃちょっと、筆跡で性別が見破られそう。 かと言ってPCで打ってみてもスルーされそう。 なので間を取って切り貼りした手紙を書いてみた。 新聞からだと家族に怪しまれそうだし、欲しい文字が無いかもしれない。 だから様々なフォントに違う背景の文字をプリントアウトし、それから一字ずつ切り取った。 『あなたが好きです でも直接伝えてあなたの反応を見届ける勇気も無いのです なのに誰かは解らなくてもいいから、あなたを好きな人がいたと知っていてほしいと思いました 好きです』 名前を、本名をもちろん書く訳では無いけれど何か名乗ろうかと思い、最後に一文字間を開けて貼った。 『魚』と。 ……魚か。魚から手紙を貰うのか彼は。 校内に魚谷さんや魚住さんは居ないのは確認済み。だからこれでいこうと決めた。 こんな面倒くさい事をしたのだから、俺の記憶には結構深く刻まれた。 そしてこんな気味の悪い物を貰ったのだから、彼の記憶にも残ればいいのに。 たとえ嫌がらせと受け取られてもいい。 この手紙を出した誰かが居た。それだけでも憶えていてくれれば。 数年後に、こんな事もあったなと思い出してくれたなら……そんな夢を見ながら彼の机に仕込んだ。
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