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「こんばんは。夜分に申しわけございません。このたび、となりに引っ越してきた者です。以後お見知りおきを」
礼儀正しく頭を下げられ、僕は当惑した。おまけに言葉が出てこず、口をぱくぱくさせる始末。寝起きで不意を突かれたとはいえ、自分でも情けなくなる。
美しい女性だった。二十代ぐらいだろうか。白くて、きれいな肌をしている。目鼻立ちのととのった顔から察するに、さぞモテたに違いない。男の僕からしたら万々歳なはずだ。
だけど、僕は小躍りするわけでもなく、親密な関係を築くべくコミュニケーションをとるわけでもなかった。黙ったままキッチンへと足を進めた。
「あの、どちらへ行かれるのでしょうか?」
か細い声で、女性が尋ねてくる。僕のとなりにべったりくっつき、不安げなまなざしを向けながら。
心臓が跳ねあがりそうになった。僕は深呼吸をしながら、冷蔵庫から缶ビールを出す。プルタブを開け、一気に飲む。まずは気持ちを落ち着かせなくては。
女性が不思議そうに僕を見つめている。僕は相手にせず、さまざまな調味料が並ぶ棚から食塩を選び抜く。効果を訝しんでいる場合じゃない。とりあえずまいてみる。同時に、デタラメなお経を唱えた。
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