雨の渡りびと

雨が煽る

「あなたでは僕の“記憶”は探せないし、探す意味もない。あなたは帰るんです、あの世界。あの現実へ」
彼の言葉がひどく遠かった。

私は人だから、雨を渡ることはできない。

私は人だから、あの美しい雨粒を探せない。

私は人だから、あの雨粒を手には入れられない。

私は人だからあの……。

頭の奥が沸騰した。
どうしても、あの美しいガラスの、虹色の雨粒を手に入れなくてはいけない気がした。
そうしなければ、私は生きている意味さえないと……靄がかった頭の奥で、手に入れろと声高に誰かが叫んでいた。
「……欲しいんです。欲しいんです。どうしても……欲しいんです。私の……私の“記憶”」
「澪さん！？」
体中の細胞がわきわきと熱をもって騒いでいるみたいだった。

全身全霊で、あれが欲しいんだと言っていた！

「澪さん！」

気づいたら彼に飛びかかって、その細い首に両手を伸ばしていた。
邪魔するなんて許せなかった。そんな権利、誰にあるのかと胸の奥で黒い炎のようなものが燃えていた。
「みお、さん……っ、ダメで、す……！」
私らしからぬ力で彼を組み敷いて、全力で彼の首を締めつけた。彼が逃れようともがけばもがくほど、力をこめた。彼は、私の体を突き飛ばすことさえままならないように、私の腕を掴んで抵抗していた。
男性のくせに、私より弱い。私より力がない。
なら、私が、あれの所有者になったっていいじゃないか。
理由の分からない焦燥感と苛立ちと、そして激しい優越感が胃の辺りに渦巻いて、そのエネルギーが私の両手にあり得ないほどの強い力を与えていた。