落とした記憶

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ふいに背後から髪が煽られた。 風にのって雨のにおいがやってきた。 振り返ると向こうの方で、灰色の雲がわき出して驚くほどの早さで近づいてくる。雷の音さえ聴こえている。 「あれは、あなたが呼んだの?」 さっきまで雨一粒の気配すら感じられなかった場所だ。 彼が何か言葉にしたから、あの雨雲がわき起こったとしか思えなかった。彼は私の問いに軽く肩をすくめて、答えてはくれなかった。 時々雲の中を光が走っている。 濃い雨の生臭いにおいが増している。 古い記憶を呼びおこしそうな懐かしさが体をめぐる。 ざあざあと耳に雨の強い音が響いてくる。 彼は雨雲を凝視したまま、何も言わない。私も近づいてくる雨雲を見つめた。やがて強い風が雨粒とともに、彼と私を避けながら通り過ぎていった。そして地面を打つ大きな音が私の耳を打つ頃には、彼と私の周りは激しい雨でいっぱいだった。言葉を発しても相手に聞こえないくらいの強さだ。 「あ…っ」 それでも地面を見た時、声をあげていた。 ひび割れていた大地の乾いた色はあっという間に黒く湿り、割れていた裂け目はゆっくりほどけるようにその隙間を埋めていった。そして、何より。 「すごい…!」 何もないと思っていた地面に、無数の鮮やかな黄緑の植物の芽が生気を得たかのように頭をもたげていた。そして彼と私が見守る中であっという間に背丈をのばして、一面の濃緑の草原へと世界を変えていた。何十、何百というさまざまな草木が萌えている。 この地では、雨季と乾季があるんだろう。テレビで見たような風景が目の前で繰り広げられて、私は言葉にできないほど感動していた。 「生命の循環に、雨は欠かせない」 彼は静かに言うと、ふと何かに気づいて私にそこから動かないように言い、ゆっくり数歩前に歩いていった。 そして腰をかがめて草むらの中から何かを拾い上げた。 水が滴るほど濡れたその手のひらには、小さなガラスのような雨粒がころんと転がっていた。 「僕の記憶だ…」 彼は呆然としたように、そのガラスのような雨粒の形をしたものを私に見せた。それは透き通って、触らせてもらうと確かに濡れていた。かすかに雨のにおいもする。形はちょっぴり歪な丸で、その内側を虹色の光が幾筋も波打つように揺らめいていた。 「すごく…キレイ」 目を奪う残酷な美しさが仄めいていて、息がつまってしまいそうだった。
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