第1章

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  「おいボットム、飯だぞ」 ボットムとはボトルの底の事で、船の一番下にある水垢を抜く栓をボットムプラ グと呼ぶ。雄二達新人三人は今のところ一番下の階級で、与えられた仕事を黙々 とすることからこう呼ばれていた 母港横浜を出港してから、3日目の朝食になると船のゆれにもだいぶ慣れてきた。 というよりいやおうなく慣らされたと言って良いだろう。どんなに船酔いしても 仕事をしないで寝ているというわけにはいかなかった。 そして、朝、昼、晩とプラス夜食をきちんと食べなければ身体が持たないほど、 過酷な労働である。 仕事は3時間おきにワッチとスタンバイを交代で行っていた。 機関士捕の雄二の仕事場は船の底の方にある機関室であり、小さな丸い窓がつい てはいるがそのほとんどが海面すれすれで、時には海面下になることもあった。 そんな中で新人の雄二は、先輩の主席機関士吉永とコンビを組んでおり、ワッチ の3時間は主席機関士の指示・指導の元に勉強中といったところなのだ。 そしてスタンバイの3時間は、何も事件・事故がない限り、自分の寝台で体を休 めたり仮眠を取ったりするのであるが、ゆれる船の中で、しかも小さな寝台での 熟睡は、慣れないせいもあり体が疲れているにもかかわらずほとんどできなかった。 自分のベッドに入り目をつぶるといろいろ なことが想い出された。 そして決まって想い出すのは優しかった祖母の笑顔だった。 舞鶴の学校へ行ってから2ヶ月経った十一月の始めの金曜日、苦しく辛い訓練に 耐えられず、懐かしい友人達に逢いたくなった雄二は、夜行列車に飛び乗り横浜 に帰ったことがあった。 何も知らない家族は、大歓迎して彼を迎えたが、苦しい、辛い、寂しい思いを家 族に打ち明ける事が出来なかった雄二は、友人と飲みに行くことで憂さを晴らし 日曜日の夜行で又舞鶴に帰っていった。 その時、祖母だけが親身になって心配してくれたのだった、 それからひと月後、いつも雄二の味方でいてくれた祖母の訃報が舞鶴に届いた。 雄二は教官に訳を話すとすぐに機上の人となった。 大好きだった祖母、かわいがってくれた祖母は穏やかに目を閉じて白木の棺の中 から、    「雄二、がんばれ」 と、言っているようだった。 雄二は海上保安庁の制服を着て、白い手袋をはめ、正座したまま身じろぎもせず に出棺までの二日間を過ごした。
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