第1章

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時間切れで満足のいく装備確認ができないまま、見切り発車をして参戦した「シーホーク 号」はレース途中、小笠原沖で転覆、沈没し必死の捜索の甲斐無く5名の命が海の底に消 えた。 また「シーホーク号」のクルーとして乗り込んだ矢田は、海上保安庁だけでなく、海上自 衛隊に応援を頼んでの航空機、船舶による必死の捜索にも関わらず発見されることができ ず、約25日間たった一人で飢えと寒さの中ポーラテックのブルゾンを着て、たった一人、 シーホークに積んであったライフラフト(救命いかだ)で太平洋を漂流し、外国の貨物船に 運良く発見されたのである。 衰弱はしてはいたが無事生還し、マスコミで大きく取り上げられたことからジャパン・グ アムヨットレースのあり方に一石を投じるというまれに見る海難事故であった。 「うらが」の乗員となって2年目、だいぶ仕事にも慣れてきた雄二は、海上巡視中に発見 し、身柄を確保した中国人船長の取り調べを担当することになった。 事のいきさつはこうである。 哨戒中の「うらが」は鳥島の北方に、船籍不明だがサンゴの密漁船らしき30フィート前 後の船があるので、現場に急行せよ、という海上本安庁所属のYS-11からの無線を受 電し、急ぎ同海域に急行した。 密漁中の船は、巡視船「うらが」を見ると停船命令を無視して猛スピードでジグザグに 逃走をはかり、走り回り、その間に密漁したばかりの赤サンゴを海中に投棄していった だが、これらの行為は「うらが」から降ろされ追跡した警救艇からのビデオに収められて おり、そのビデオ撮影は警救艇の舳先で落水しそうになる足を踏ん張って雄二が撮影した ものだったのである。 雄二は大学時代に第二外国語に中国語を専攻していた。しかし自治会活動に忙しくまと もに授業を受けていなかったので、挨拶程度しか中国語は理解できなかった。 そのためだけではなく、間違えを防ぐ意味もあって通訳を間に入れての取り調べになった。 密漁船の船長は雄二の父親と同年配の、人のよさそうな人であった。 ビデオの映像を見せ、密漁船内にわずかに残っていた赤サンゴを突きつけると、あっさり と自白した。 海上保安官の仕事は犯罪者を逮捕すればそれで終わりというのではない。この後が大変で ある。 海難審判庁に書類送検をしなければならない。 起訴状作成にはそれなりのルールがあり、日付、場所、名前等、絶対に間違えてはいけな
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