第1章

21/36

4人が本棚に入れています
本棚に追加
/36ページ
いのである。 しかも名前は中国語で書かなければならない。 文字を一字でも間違えれば起訴ができず、すべてが水泡に帰すのである。 雄二は海上勤務を終えて、自宅に帰ってからも悶え悩んで書いては消し。消しては修正し と起訴状作成に3昼夜かかった。 昼も夜も、頭はそのことばかりであった。 目をくぼみ、食事が喉に通らないためやせ細り、やっと出来上がって先輩に見せに行った とき、あまりの変わりように驚いた先輩たちは改めて雄二の責任感の強さを感じたので あった。      厳原(いずはら) 長崎県対馬市厳原。 厳原はかなり昔から朝鮮半島との貿易が盛んであり、かつては長崎県下県郡(しもあがたぐん) 厳原町であったものが近隣の地区と合併し現在の町名になった。 この厳原にある厳原港からは韓国釜山(ぷさん)へのフェリーが就航している。 厳原保安部は第7管区海上保安本部に所属しており、巡視船「むらくも」をはじめとする 7隻の巡視船艇と97名の海上保安官の手で韓国と境を接する国境の海を監視している。 この海域は、ブリを筆頭とする数多くの魚介類の豊富な漁場であり、それがために他国の 密漁船が絶えない海域として、気の抜けない保安部でもある。 「うらが」の首席機関士であった吉永は、「うらが」下船後、この厳原保安部に警備救難 課長として赴任してきた。 暑い夏の昼下がりのことであった、 巡視船「むらくも」が海域哨戒中に不審船を発見したのである。 40フィートほどの木造船で、今にも沈みそうなほど喫水の下がった老朽船である。 しかし「むらくも」乗組員が不審に思ったのは船名が判別できないのである。 故意に読めないようにしてある。 「むらくも」はすぐに臨検をすべく、不審船に対し停船命令を出した。    「こちらは海上保安庁巡視船「むらくも」です。ただちに停船しなさい」 不審船は呼びかけを無視し、全速で海域の離脱を図り始めた。 「むらくも」は再度停船命令を出しながら不審船への追尾を始めたが、不審船は逃げきれ ないと知るや急に進路を反転し「むらくも」目掛けて突っ込んできた。    「取舵、いっぱい」 回避しきれない。 「むらくも」の右舷にその木造船が当たる鈍い音がした。    「危ない!」 一瞬ひるんだ「むらくも」の保安官たちは次の瞬間にはその不審船に移乗していた。
/36ページ

最初のコメントを投稿しよう!

4人が本棚に入れています
本棚に追加