第1章

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この船は小笠原保安署に配備するために作られたもので、武器こそ積載していないが 180度の傾きからも復元する能力を備えておりガソリンエンジのほかにウォーター ジェットも積んでおり、航続距離は40海里(74km)にも及ぶのである。 「ポンピドー号」は南島の南方に居た。 42フィートのきれいな外洋型ヨットの、25メートル以上もあるマスト は、根元から3分の2ほどを残して無残に折れており、大時化の中で機走もままならず に、木の葉のように波に翻弄されていた。 「さざんくろす」が無線で問いかけてみるとフランス人の夫婦は、しきりに感謝してい たが怪我も無く元気だという。 まともに立っていられないほどの風波の中、接触しないぎりぎりまで「さざんくろす」を 「ポンピドー号」に近づけた雄二たちは、手の施しようも様も無く、しかし差し迫った 危険も無いと判断し様子を見ることにした。 午前4時、東の水平線がうっすらと白みかかってくるとあれほど吹き荒れていた風が収 まってきた。 マストが折れたヨットは機走で二見港に入港し、それを守るように雄二たちの「さざんく ろす」も伴走して、保安署に戻っていった。 東の空には、真っ白な積乱雲が湧き上がり今日も暑い1日であろうことを予感させてい た。 昨晩の荒れが嘘のように、太陽が一面に降り注ぎ、ジリジリと肌を焼く暑さであった。 雄二は汗を滴らしながらペダルを漕いで緩い坂道を上って帰ってきた。      「ただいま」 社宅玄関のドアを開けると、    「パパ!」 清海が飛びついてきた。 コーヒーのうまそうな香りと、トーストを焼くにおい、2歳の誕生日が近づいてきた清美 は、最近ますますかわいさを増してきて、おり、雄二は清海を抱き上げて喜ぶ笑顔を見る のが最上の幸せに思えるのだった。 最近、言葉を覚え始め誰に対しても物怖じしないで、愛くるしい仕草とくりくりした瞳 で、そばへ寄っていき話しかける清海は、この幼児の少ない父島の大村地区では誰一人と して知らないものが居ないほどの人気者であった。 大村地区の誰もが「海上保安庁の友田さん」ではなくて「清海ちゃんのお父さん」と、雄 二を呼んでいた。本土(島の人は内地をこう呼んでいた)から週1回の連絡船小笠原丸に 乗って、この島に遊びに来た若い人たち、特に女性たちがこの島の魅力に取り付かれてし
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