第1章

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買ってくれたもので、小学校を卒業するまで大事に可愛がっており、 夜寝る時も片時も離さず、小学生のある時薄汚れたそのぬいぐるみを 捨てようとした母親と大喧嘩になり二日間、食事もしないで泣き通した ほどで、とうとう根負けした母親が風呂場できれいに洗濯し、やっと 納得した程であった。 中学に入ったとき、    「いつまでもクマのぬいぐるみでもなかろう」 と父親が仕事先の知り合いから掌に乗るほど小さな柴犬の子供を 貰ってきて雄二に与えた。 雄二はその仔犬に「ポチ」という名前を付け犬小屋にそのぬいぐるみを 入れて    「ポチは僕の弟だから、クマさんはポチにやるんだ」 と、それこそ、仔犬のポチを本当の弟の様に可愛がり、2歳上の 兄幸一(こういち)を嫉妬させたほどであった。 雄二たち新米保安官は、数人ずつで班を組んで同室に起居しており、 それぞれ一人一人にベッドと机それにロッカーといったプライベート スペースが与えられその班が集まって一つに中隊を形作っていた。 班の編成は全国から集まった18歳から24歳までの年齢、学歴の 違う者たちで、年齢が上のほうにあった雄二は彼らの班である3班の 班長に任命されていた。 これらの仕組みは卒業後実際の任務に就いた際、狭い巡視船内で 生活することを想定されて作られており巡視船内の生活では 何よりも全員の協調が求められていた。 食事、風呂なども決められた時間の中で素早く効率よく済まさ なければならなかった。 学生ではあるが初級国家公務員として給料も有り、もちろん土曜日、 日曜日、祝日は学業も休みであった。そしてそのような時は外泊も できるのであり、夏休み、冬休みには届を出せば家に帰って家族に 甘えることもできるのである。 京都の厳しい寒さも緩みゆるみ、日本海の浪の色も暗い鈍(にび)色から 輝き通った明るい群青(ぐんじょう)色へと変わり始めた3月の 日曜日、雄二は和船の櫓を器用に操り舞鶴湾へ漕ぎ出していった。 海上保安学校にはローボート、和船、水上オートバイ、モーターボートや ウインドーサーフボードなど海上での乗り物はほとんどが置いてあり、 これらを乗りこなす実技練習も科目のうちに入っていて、授業のない 休日には自由に使用する事もできた。 雄二は慣れた櫓さばきで漕ぎ進め、戦後、引上船が停泊したという 小学校近くの桟橋のすぐそばまで漕ぎ進めて来て櫓から手を離した。
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