序章〜外部観察記録〜インタビュー

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アルバートン  「現代のAIはデジタル知性と呼ばれながら、それに値しないとおっしゃるのでしょうか?」 コロー  「そう断言すると強い批判にさらされてしまうでしょうが、科学的にはそういうことになります」 アルバートン  「確かに納得しない人たちが大勢いると思います。とくに私の娘が聞いたら『アンジュリンは自我をもっている!』と怒り出すでしょう」 コロー  「それは困った問題ですね、あなた方のメディアを通じて科学的知見を広めてもらえることに期待します。ここで基本的なことですが、一般に言われているデジタル知性というのは企業やメディアが便宜的に使っている表現にすぎないということです。  先に述べたように、現代のAIが持つパーソナリティは人間やAI自信が作り出した擬似人格でしかありません。言語というセンテンスを違和感なく組み立て、論理的につなげ、会話を正しく成立させている。一見すると知性があるように見えますが、本当にそうでしょうか?知性とは、何なのでしょう?  AIの研究者や開発者はこの問題をはっきりさせるため、ある境界線を設けました。それはパーペチュアルブレイクと呼ばれています」 アルバートン  「チェスでいう『千日手』のことですね?問題解決のための手段が終わりなく繰り返してしまうという………」 コロー  「そうです、人間がこの問題に直面したとき、ふたつの行動をとります。ひとつは問題を放棄する。もうひとつはパーペチュアルな状態が現れた時点で、解決不可能問題であると判断する………しかしAIの判断は違います。もしプログラムに『パーペチュアルな状態のときこうしろ』という書き込みががなければ、AIは無限に、マルバツ問題のように打ち消し合う解答を出し続けてしまうのです。何故だと思いますか?  それはAIがプログラムなしに自己判断をさせる自我がないからなのです。無駄だからこうする、という概念がないのです。知的動物であれば娯楽として同じことを繰り返すことはしますが、いつかは飽きて終わりにします。欲求が尽きてしまうのです。自我とは言わば、欲求です。自ら進んで求め、答えを出す。  それが生産的であるかどうかではなく、そうしたいかしたくないか、生命であれば基本的欲求として備わっているもの、高等生物であればそれが知性と呼ばれるものにもなるのです。
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