第1章

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       巷の怪談             小笠原 隆 もう20年以上も前になるだろうか。  何某という俳優がいた。彼は通称「ブーちゃん」と云われて多くのファンに 親しまれていた。 そして、筆者の知人にも「ブーちゃん」の愛称で多くの仲間たちに愛されてい た男がいた。  ブーちゃんこと清水義樹は新芽が青々と芽吹いている桜並木のだらだらした 長い坂道をM駅に向かって歩いていた。額にはうっすらと汗を浮かべ、身長1 82センチ、体重106キロの彼は、幾分息を切らしていた。 この物語ではこれから彼をブーちゃんの愛称で進めていきたいと思う。  ブーちゃんはY市の警備会社に勤めている 勤続15年、機械警備技術部の課長補佐をしている。勤務は3交代勤務で今朝 出勤すると明日の朝まで勤務があり、明日は非番、そして明後日は公休となる のである。 その夜のことである。ブーちゃんはアラーム管制室で、パネルの青ランプや黄 色ランプを眺めながら、管制官と雑談をしていた。 パネルには管轄する地区の地図が描かれており、地図上の各契約会社ごとにユ ニットがある。そしてユニットごとに小さな青、黄色、赤のランプが付いてい る。 契約先が終業時刻を過ぎ、最終退出者が、アラーム警備開始にスイッチを切り 替える。すると警備会社の管制室にあるパネルが青ランプに切り替わる。もし その後その契約会社のユニットランプが赤色に変わると、それは異常侵入者が あったことになるのである。  夜も0時を過ぎ、パネルのデジタル時計が「0045」を描いてもH金属の ユニットは青色に変わらなかった。    「なんだ?、セット忘れか?」 しょうがないな、という顔でブーちゃんがつぶやくと、管制官が    「おかしいな、あそこはセットわすれをするような所じゃあないんです     けどねえ」 スタンドマイクを掴んで、警備巡回車に連絡しようとしたのを、押しとどめて    「よし、たまには俺が行こう」 巡回車のキーをとりながら、ブーちゃんはドアに向かって大きな身体を動かし 始めた。  月の無い、5月末にしては蒸し暑い夜の闇の中にH金属のビルは静かに佇ん でいた。 外周を廻って見ると窓の一箇所から、ブラインドの隙間越しにぼんやりと明か りが漏れている。それとても、良く見なければ見逃してしまうほどのわずかな 明るさである。
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